噺を※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は息も吐かない様に話して聞かせたりした。
 今でも※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は何かの折に葡萄などを見ると、其の時の二人の幼ない様子と、あの甘く舌に溶ける様だった実の事を思い出す事が有る程、嬉しい、まあよかったと思った会合であった。
 其の次の日っから二人は一日の大抵は一緒に伴立って前の小川に魚を取りに行ったり、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の部屋で沢山ためて持って居たカードだのお伽噺の安本などを見て遊んで居た。
 乗気になって明けても暮れてもお久美さんが居なけりゃあ生きてる甲斐が無いと思い込んで居た※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は、自分が桃色のリボンで鉢巻の様にはでな頭飾りをして居るのに比べて大切なお久美さんの頭はあんまり飾りないので、持ちふるしたのですまないと思いながら、うす紫に草花の模様のあるのをあげて、貴方も私みたいな髪におしなさいおしなさいと云ってもどうしても聞かなかったお久美さんは其れを桃割の髷前に頭からダラリと下る様に掛けて居た事なども有った。
 自分が折角よい様にさせて上げ様と思うのにきかれなかったり妙な眼付をして、
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「お※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]ちゃんの髪は何て云うの。
 暑いでしょう。
 随分妙な結い方ねえ。
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などと云われると、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子はすっかり悲しくなって仕舞って、長く遊んで居るときっと又厭になるだろうからもう明日から来ても会いますまいと思う事が十度に一度は無いでは無かったけれ共、一度お久美さんの口から其のまるでお話の様に可哀そうな身上話を聞いてからと云うものは、年に似合わない真面目さが加わって、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は、どんな事が有っても私はお久美さんを大切によくしてあげなけりゃあならない、そうするために私共は仲よしに成ったのだと思いきめて仕舞った。
 その気持が今日になるまでざっと七年程も確かに取り守られ保たれて来ようとは※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は勿論お久美さんにしろ思いも掛けて居なかった事である。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は好く自分を知って呉れる二親もあり物質的の苦労を殆ど知ら無いと云って好い位の幸福な日を送って居るのに、お久美さんは二親は早く失くし兄弟も友達もなくて、心の人と異った伯母に世話をされて居た。世間知らずで有るべき年の※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は山程積んで目を覚すとから眠るまで読んで居た非常に沢山のお話で、継母の辛さ、又は他人の家へただ世話になって居る小娘の心づかいをよく察しられる様になって居たので、自分の家のない事父母の死んだ事は甚く同情すべき事に感じられた。
 友達のむずかしい※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が此んな人を此上ない者に仕て居様等とは誰も思って居なかった。
 一時はお久美さんの事を話して、
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「まあ貴女がそんな方と仲よしになって居らっしゃるの、
 ほんとに思い掛けなかったわ。
「ええそりゃあほんとうよ。
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と、友達共が阿呆な目をしてびっくりするのが面白くて、やたらと自分とお久美さんの事を喋り散した事があった。
 けれ共或時何かにつれて、人を驚かす材料に自分の一番大切な人を使って居たと云う事が非常に下等な恥かしい事に思えたので暗闇に座って此上なく改まった気持で、
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「お久美さん御免なさい。
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と云った時以来人にきかれた時以外にお久美さんのおの字も口から出さなかった。
 そしてだまって居れば居る程自分に対するお久美さんが高まり尊く成りまさって行く様に思って居た。
 十四位の時、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は丁度何でも世の中のすべての事に神様だの自然の大きな力を感じてどんな物にでも感歎せずには居られない心の状態にあった。
 そのためにお久美さんにやる手紙の中に、まるで祈祷を凝す様な気持で、
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私共はまだ生れなかった先から今日斯うあるべき運命が神様から授けられて育ったのだと思うより外考え様がないと思います。
まるで見知らなかった二人の小さな子供が、彼那に急に彼那にしっかり彼の時彼処で結び付けられたと云う事は只偶然な事の成り行きだと云えましょうか。
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と云ってやった事があった。
 勿論その意味が※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の思う程はっきり十六のお久美さんに解ろうとは思って居なかったけれ共そう云わずには居られないのであった。
 一日一日と※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の心は様々な遷り変りをした。
 或時は自分の周囲の者すべてを例えそれが人の命を奪った大罪人でも快い微笑と手厚さで迎えたい時が有った。
 又或る時には世の中の隅から隅までその中に蠢いて居、哀れに小っぽけな自分までが厭わしく醜くて自分の命、人の命などが何のために如何《ど》うしてあるのか無茶苦茶に成って仕舞った時も有ったけれ共、大海の底の水は小揺ぎもしない様に、幾多の心の大波の打ち返す奥の奥には「私のお久美さん」が静かに安らかに横わって居た。
 そしてどんな時でも世話をしてあげなければならない自分で有った。
 お久美さんはよく先の切れた筆でロール半紙にヌメラヌメラとまとまりなく大きく続いた字の手紙を寄こした。
 取り繕わない口調でたどたどと辛い事悲しい事を云ってよこされると※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の目の前には惨めなお久美さんの様子がありありと浮んで見えた。
 殆ど無人格な様な年を取った主人を無いがしろにして何でも彼んでもお関の命のままに事の運ばれて行く山田の家庭はごった返しに乱れて居て口汚い罵りや、下等な憤りが日に幾度となく繰返されて居る中で、突きあげられたり突き落されたりして居るお久美さんの苦しさは到底その上手くもとらない口で云い現わす事などの出来るものじゃあない事はよくよく※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子も知って居た。
 お久美さんはお関に取ってたった一人しか無かった妹の娘なのだけれ共病的な心は真直に可愛がる事をさせないで、年と共にお久美さんが娘々して来るにつれて段々と激しい虐め方をした。
 お久美さんも其れを知って居た。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子もそれをさとって居た。
 けれ共時の力を押える訳には行かなかったのである。

        四

 お久美さんと約束の日が来た。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は朝から何となし落ち付けない気持でカタカタと机の上を片づけたりして居たが、お昼を仕舞うと先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐ、髪を一寸撫でつけるなり飛ぶ様にして家を出て行った。
 活々した葉が真昼の日光に堅く輝く桑の木の間を通って居る一番池への近路の畑中を抜けて、胸の高さ位の上を通って居る往還に登るとすぐ前を走って居る小川の土橋を渡った。
 渡り切った所はもう池である。
 力強い日が池の水面に漲り渡って、水浴をして居る子供達の日焼けした腕が劇しい水音を立てて水沫を跳ね飛ばしながら赤く光って、出たり入ったりして居る。
 鋭い叫び声とバシャバシャ、バシャバシャ云う音に混って如何にも愉快な木の葉ずれが爽やかに※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の躰を包んで、夏の嫌いな※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子にも「此処許りは」と思わせた。
 向うの道から来るお久美さんに先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐ見つかる様にと、往還に沿うて続いて居る堤の青草の上に投げ座りをして体の重味で伏した草が白い着物の輪廓をまるで縁飾りの様に美くしく巧妙に囲んで居るのを見たり、モックリと湧き上った雲の群の前にしっとりと青い山並が長く長く続いて、遙かに小さい森や丘が手際よく取りそろえられて居るの等を眺めながらお久美さんの足音を待って居た。
 お久美さんの姿が※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の目に入るまでには大変に長い時間が立った。
 恐ろしく長い間待って居たと※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は感じて居るのであった。
 心持上半身をうつむけて暑い中をせっせと歩いて来るお久美さんの紺色の姿が※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の目に入ると、彼女は弾かれた様に立ち上って、微笑のあふれる顔を真直にお久美さんを見ながら半ば馳ける様に出迎に行った。
 両方から急いで二人はお互に思ったより早く堤の終る所で会う事が出来た。
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「まあよく来られた事。
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 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は手をお久美さんへ延しながら安心して震える様な声で云った。
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「沢山お待ちなさって。
 伯母さんの出掛け様が遅かった上に今まで役場の人が来て居たんで……
「そう、
 大丈夫よ、幾らも待ちなんかしない事よ。
 私だって今一寸前に来たんだから。
「そう、そんなら好いけれ共。
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 二人はゆるゆると歩いて、さっき※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が居た所に又並んで座った。
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「今日は随分暑いわねえ。
 こんなじゃあ八月になるのが思いだわ。
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 お久美さんは頬を火照らして平手で押えたり袂の先で風を送ったりして居た。
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「そうでもありませんよ。
 風がよく通るんですもの。
 そんなじゃ東京へでも出て一夏送ったら暑い暑いで死んで仕舞いますよ。
「そう云えばそうだけれど……
 そんな事云ったって貴女だって矢っ張り、暑うござんすね暑うござんすね、まるで体中燃えてきそうだっておっしゃるじゃあ有りませんか。
 駄目よ、誰だって暑いんだもの。
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 二人の間には罪の無い笑い話が取り交わされた。
 祖母の家へ来てから余り吐き出されないで居た持前の「おどけ」が後から後からと流れ出して、体も心も彼の青い空と水の中に溶け込んで仕舞った様になった※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は、思う事も云う事もないと云う風にお久美さんを見ては満足の笑を浮べて居た。
 頭をかしげて池と※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子を半々に見て居たお久美さんはいきなり「ああそうそう、私どうしても貴女に伺おうと思って居た事が有る」と云い出した。
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「あのね、先月の始頃私の所へ手紙を下すった事があって。
「先月の始め頃?
 どうして、私はっきり今覚えてないけれど。
 どうかしたの。
「いいえね、
 伯母さんがどうも手紙をかくすらしいのよ、
 大概のはね、受取ったものが私ん所へ持って来て呉れるけれど、誰も居ない時来たのは皆どうかなってしまうんじゃあ有るまいかと思う。
 何故ってこないだ貴女の行らっしゃった二三日前にね、何心なく伯母さんの針箱の引出しを明けたら何だか書いたものが小さく成って入ってるんでしょう。
 悪いと思ったけれどそうと出して見ると貴女のお手紙なのよ。
 私もうほんとにびっくりしちゃったわ。
 だってね、捨てる積りだったと見えて幾つにも幾つにも千切って順も何もなく重ねてあったんで、どんな事が書いて有るんだか分らなかったのよ。
 よっぽど出して知らん顔をして居ようかと思ったけれど、何だか怖いからそのまんまに仕て置いたけれど。
 貴女覚えて居ら
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