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「お※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]さんと私とは生れからして違うんだもの、
 どうせ分りっこありはしないわ。
 私の心配は私一人で切り盛り仕て行かなけりゃあならない、ましてこの頃の様な事はね。
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と云う事をはっきり思って居た。

        十四

 山田の養子の事や何や彼で皆がザワザワと口数多く成って居る間に※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の祖母が気に病んで居た橋本の貸し金の事は思わぬ落着を告げた。
 重三が来た許りだのに金の話でも有るまいと控えて居た祖母もあんまり埒が明かないのに業を煮やして、到々人をやって、もう公に成っても自分は介わないから町の弁護士に頼むからと云った晩、山田の主人は来て、他人の噂をして居る様な口調で、橋本からはすっかり借りた丈の物に礼まで添えて返したのだけれ共、種々已を得ない事情が有ったので、自分が又借りを仕て仕舞ったと云う事を話して行った。
 祖母は涙の出る程怒って、
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「そりゃあ私もお返しする積りで居るんですからな、
 まあ、もうちっとお待ちなすって下さい
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と云ったと云う事を幾度か幾度か繰り返して※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子に話して聞かせた。
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「ほんとにひどい。
 彼《あ》あも悪く出来た人は見た事がないよ。
 それもさ、
 丁寧に訳でも話して願って来れば又どう考えなおすまい者でもないのに、お前、まるであたり前の様な顔をして、
 『種々な必要に迫られたものでしてな、
 お断りせんかったのは悪かった』
 と云った丈だよ。
 そりゃあね、彼の人が今年はどの位困ったかは大凡《おおよそ》分って居るのだから、事を分けて返した物は返した物でそっくり持って来てから話しでも有れば相見互な事だから用立てても上げ様ものをさ、
 年寄りだと思って踏みつけられて居るのを思うと、それ丈でも口惜しくって口惜しくって居られないよ。
 だから、ほら、先お前が行った時、お関が種々云って間へ外の人を入れさせまいとしたのさ、
 私はもうほんとに考えた丈でブルブルするよ。
 よってたかって剥ぎ取る工面許りして居るのを思うと、夜もおちおちは眠られやしない。
 だまそうと掛れば掛る程此方じゃだまされちゃ居られないだろうじゃあないか。
 お人を好くして居たら三日も立たない内に住む所も無くされて仕舞う。
 ああああ、厭な世の中さ。
 此那世の中に生きて居るより死んだ方がいくら好いか知れやしない。
 長く生きて居れば厭な事を余計見るばっかりだよ。
 お前見たいな世間知らずはよく此那事を覚えて置くものだよ。
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 祖母は気の毒な程歎息をして居た。
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「だけれどね、お祖母様、
 之から金の事なんか頼むのは金にあんまり困らない人になすった方が好い。

 彼那、金と云えば夢にまで見たい程饑えて居る人に頼むなんて、此方も手ぬかりだったんだから、諦めるより仕様が有りませんわ。
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と※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が云っても聞かない祖母は段々山田の家族の事を悪く云い出して、お関の事、お久美さんの事を頭ごなしに仕た。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は赤くなってお久美さんを弁解した。
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「今度の事なんかお久美さんに何にも罪は無いじゃあ有りませんか、
 山田の夫婦で仕た事なんですもの。
 そう何でも彼んでも憎い者に仕ないだって。
「お前はそうお云いだけれ共ね、
 彼れ丈の年に成って居て出入りする金の事位大抵は分って居るものだよ、
 それでさ、
 橋本からのだと知って居ながらそれで自分も食わせられたり着せられたり仕たんだもの、やっぱり同じ穴の狐なのだよ。
「そりゃあね、
 お久美さんが彼の家の実の娘で有ったんなら、それを使わせない様にするとか何とか出来るかもしれないけれ共、世話になって居る身分なんですものね、
 悪いと思ったって彼の人達で仕て行く経済の事まで口を出せないでしょうもの、
 それを彼れ此れ云うのは無理ですわ。
 お久美さんなんて、ほんとに気弱な可哀そうな人なんですもの。
「そんなに贔屓したって駄目だよ。
 今に御覧、きっとお前が目を覚ます様な事が出来るから。
 彼那何処の如何した子か知れもしない者を養子に連れて来たり、他人の金を横取りして使う様な家にちゃんとした者が居られると思うのかい。
 お前は矢っ張り何と云ってもお嬢様だよ、
 巧く彼の娘に綾吊《あやつ》られて居るのさ。
「いいえ、そんな事はない、
 そりゃあどうしたって無い。
 一年や二年ちょっとの友達ならだまされて居られるかも知れないけれど、此那に長い間の事ですもの。
「そこがなお都合が好いのさ。
 長い間だと思ってお前は好い気になって居る。
 二月や一月一緒に居る間位はどんな振りでも仕て居られる者だからね。
 お前がそんなに一生懸命になって云って居る事が今に見ておいで、
 まるで異った事になって来るから。
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 祖母は平常に無い雄弁で云い立てた。
 けれ共※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は場合が場合だったので格別気にも止めないで聞き流して居た。
 意外に踏み付けた行為をされた憤りを忘れる方便に年寄が此の位その周囲の者を悪く云う位は何でも無い事だし、四五日もすれば又その記憶から薄らいで仕舞うものと思って居た※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は、如何してもお久美さんを疑う気にはなれなかった。
 却って、この頃の様に種々の事が起って来て、世の中に馴れて居る様でまごつき易い心がひどく動揺して居るらしい事を想うと気の毒になって、人の勝手な噂さを他場事《よそごと》の様に聞いて居る自分がお久美さんに対して余りに思い遣りのない様な、もう少しどうにか仕ても上げられそうなと考えられたりした。
 けれ共、その事を非常に残念に思って居た老人は、少し種々な事を打ち明けて居る者が来ると、
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「此処限りの話なのだがね。
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と断り書きを付けながら、かなり芝居たっぷりに山田の主人の常軌を逸した行動を批難して話して聞かせた。
 聞いた者は皆驚きの目を見張りながら、
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「まあそんな事までするんですかなあ。
 彼のヤソ爺様なかなか凄腕ですな。
 何にしろ尻押が神様と来てるから御隠居さん、なかなかやる事もドシッとした事ですわい。
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と戯談の様に云う者もあれば、
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「そりゃあ御隠居さん、泣寝入りは人が好すぎますよ。出すべき所へ出せばちゃんと此処に理が有るんだから、貴女さえウンとおっしゃれば一肩脱がない者でも有りませんよ。
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と云ったりする者があると、
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「何、もうやったものと思う外ないのさ。
 彼れ丈の金で罪人を作るでもないからね。
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とは云いながら年寄は非常にその熱心らしい調子が気に入って、東京の塩瀬のお菓子と云う因縁付きの取って置きの物まで食べさせたりした。
 そしていつでも引き合いにお関とお久美さんが出て、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が居たたまれない程種々有る事ない事、お久美さんの噂にまで話は拡がって行って、来た者の帰った後ではきっと、
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「お前は夢中で贔屓してお居でだけれどね。
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と、目先の利かないと見られて居る※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が小一時間も山田の一家の事並びにお久美さんの解剖を聞かなければならなかった。
 毎日きっと一度は同じ事を聞かされて居たけれど、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子はどうしても祖母の言葉を信じる事が出来なかった。
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「彼那お関等のために誤解されて種々下らない事を云われて居なければならないお久美さんを考えればほんとに可哀そうにならずに居られません。
 あの位苦労をして辛い思いをして居ながら心の素直な人はあんまり居ないでしょうのにね。
 百人の中九十九人、彼の人を何か彼にか云っても、私だけはちゃんと彼の人を守って行かれる丈しっかりした考えを持って居ます。
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と云って、祖母に嘲笑われながらそんな事が一度一度と度重なるに連れて、
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「自分丈は正しい理解を持った同情者であり得る。
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と云う考えが深さを加えて行くばかりであった。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子はお久美さんに対しては純な混気のない心が働いて行くのを頼もしく有難い事に思って居た。
 橋本の金の事が有って以来、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は山田の家へ行く事を祖母に云う事が出来なかった。
 一度|等《など》は祖母が止めるのも聞かずに出掛けて行くと、漸々山田の家の垣根まで行くか行かないに男を走らせて、
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「御隠居様が、用事があるから私と一緒にお帰りなさる様にとおっしゃいます。
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と云ってよこさせた。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は余程帰るまいかとも思ったけれど、男に対して祖母の面目を失わせる様ではと思うと渋々ながら又戻って行った事さえあった。
 極端に、その名を聞いてさえ虫酸《むしず》が走る程山田に悪感を持つ様になった祖母は、そんな家へ行きでも仕様ものなら一生払い落す事の出来ない「つきもの」にとりつかれて仕舞いでもするか、髪の一本一本にまで厭な彼の家の空気が染み込んででも仕そうに感じて居たのだから、お久美さんに会う等と云う事は以ての外の事で有った。
 けれ共※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は会わずには居られなくなった。
 時々裏の方へ歩きに出た次手に立ちよって、細い畠道を二人でたどりながら小一時間費す事さえもあった。
 重三と恭とに気を奪われて居るお関は、お久美さんに対しては、何か考えて居る所が有るのじゃあないかと思われる程、手をつけずに放って居た。
 その御かげでお久美さんは折々それも一週に一二度ではあったけれ共外で立ち話しも出来る余裕を与えられた。
 一時間近くも、又時によるとそれよりも長く※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子が出た限《き》り帰らない時は祖母は、又お久美さんの所へ出掛けたのだと云う事は感付いて居たのだけれ共、あんまりやかましくは云わなかった。
 割合に単純な心は、一々確かに云ってからされるより、だまってされて居る方が自分としては堪えられる様でも有った。
 会う度毎に※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子はお久美さんの屈託の有るらしい様子に気が付かないではなかったけれ共、若し別にどうと云う事も思っては居ないのに自分の言葉で、
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「ああほんとにそうだ。
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と潜んだ気持まで呼び起す様な事が無いものではないと思って居たので、出来るだけ気を引き立てる様に気を引き立てる様にとはしながら別に立ち入った気持まで聞く様な事は仕ずに居た。

        十五

 お久美さんは「お※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]さんになんて今の私の心が分るものか、彼の人は呑気なんだもの」と思いながら種々案じて居るらしく気遣って居る※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の様子を見ると、又何となし頼りの有る縋って居たい様な気にもなったのだけれ共、喉まで出掛って居る最初の一言を云い出す決心が付かないで、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−
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