に居る宣教師の所へ手伝いにやるに限ると思いついた。
 お関はお久美さんを呼んで、
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「今度ね、Y市の人で家へ養子が定まったからその人を迎えに明日の朝立とうと思うんだがね、
 若い者ばっかり家に残してくのも気掛りだから四五日の間お前町の辻さんの所へ手伝に行ってお出で。
 あすこでもこの間赤ちゃんが生れて手無足で居るんだから丁度好いやね。
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と是も非もなく云い渡した。
 お久美さんは総ての事のあんまり突然なのに喫驚しながら、殆ど無意識に、
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「ええ。
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と返事をして、自分達の部屋に来てから始めて落着いた気持になって、今度来ると云う養子の事を考えた。
 養子が来る。
 お久美さんは直覚的に或る事を悟った。
 にわかに世の中が明るく成った様な、自分の体が延びた様な歓びがお久美さんの心を領して、薄暗い灯の下で、白い布に包まれた自分の成熟した体を、喩え様の無い愛しみを以て眺めて居た。
 どんな人だろう。
 目の前には今まで見た若者の顔のすべてが現れ出て、朧気ながら髪の厚い輝やかしい面が微笑を湛えて見えたり隠れたりした。
 其の晩、お久美さんは今まで有った事の無い幼児の様に安らかな明けの日の楽しい眠りに陥ちた。
 九時過の汽車に山田夫婦を送り出してから、お久美さんは、珍らしく※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子を訪ねた。
 その前の日に漸う床を離れた許りで、まだ頭の奥が重い様な気持で、何事も手に就かないで居た※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は意外なお久美さんの声に驚きもし喜びもして、年に似合わしい浴衣を軽く着て、髪等もまとまりよく結ったふだんとはまるで人の違う様な姿を楽しそうな眼差しでながめやった。
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「今日はどうしたの、
 どうして此那に早く来られたの。
「今日?
 まあね、そりゃあ好い事が有るのよ。
 伯母さん達がY市へ行って留守になったの。
「そう、まあ、そいで、
 いつ立ったの、昨日。
「いいえ、今もう一寸さっきなの。
 私ね、町の辻さんの所へ行かなきゃあならないんだけれ共、行きがけに一寸およりしたの。
 思い掛けない事が有るわねえ。
「ほんとにねえ
 いつ頃帰るの。いずれあすこまで行ったんだから四五日か一週間位は掛るんでしょう。
「ええ、大抵四五日だって。
「じゃあ毎日家へ来て居らっしゃい。
「駄目よ。
 辻さんの所へ行って居なけりゃあならないから。
「どうして。
 ずうっと行ってるの。
「ええ帰って来るまで。
「まあ、そう。
 そいじゃあ仕様がない。
 ああ、そうそう、
 この間木曜に大騒ぎだったんだってねえ。
 貴女何ともなかったの。
 心配したんですけどねえ、私も丁度工合が悪かったもんで行かれもしなかったけれど。
「なんでもなかったのよ、
 彼那事。
 伯父さん達があんまりな事を仕たんだから、あたり前だわ、あの位されるのは。
「そんならよかったけれど、
 あの一寸前の日に貴女の所へ行ったんだけれ共、彼の人に追い帰されて仕舞ったのよ、
 貴女が町へ行って留守だって。
「あらまあ、一体いつなの、それは。
 この頃、私、町へなんかちっとも行かないのに、随分ね。
 会わせない積りでそんな出鱈目を云ったのね。
「きっとそうなのよ。
 私もそうだと思ったから何んでもない様な顔をして、
 『そうですか』
 ってさっさと帰って来た。
 私がきっと捜したり何かするだろうと思って居るんですからね。
「ええ、そりゃあそうだわ。
 困らして見たくて仕様がないんですもんね。
「だから当をはずさせて遠くの方から見て居るんです。自分の思う様に困ったりがっかりして呉れないと彼の人はもうもう世は末だと思うんですよ。
「ほんとにね。
 でも考えて見れば、彼れもやっぱり気違いに違いないわね。
 私どうもそうらしい。
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 二人は他意の無い気持に成って笑った。
 お久美さんの歯はいつもの通り堅そうで美くしかった。
 けれ共今まで一度も見た事の無い表情がのびやかな眉の間にも輝いた頬にも漂うて居るのを見付けた※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は不思議さに眼を見開いた。
 歓楽の音ずれを待ちあぐねて居る様な緊張と物倦い倦怠とが混乱したなまめかしさが如何にも若々しい弾力の有る皮膚を流れて、何物かに心を領されて居る快い放心が折々、折々其の眼をあて途も無い様に見据えさせたり、夢の様な微笑を唇に浮べさせたりした。
 ※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は明かにお久美さんの霊を宇頂天にさせて居る何かが有るのを知ると共に、常とまるで異って感じの鋭くはでやかに成って居る顔を
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