スラスラと運んで行って、何と云っても憎かろう筈の無い実の子を大びらに家に入れる事の出来たお関はそりゃあ満足して居たには違いなかったけれ共、一方恭吉が自分に向ける意味有り気な眼を気に掛けずには居られなかった。
 何か不満が有るらしく、自分が何か云っても太《ふ》てて鼻歌で行って仕舞ったり、わざと聞える様に重三の悪口を云ったりする様子がお関には不安で有った。
 若しかすると重三のことをすっかり知って居るのでは無[#「無」に「(ママ)」の注記]るまいかと云う怖れ。
 自分が恭に向って仕向けた種々の事を自分から洩す魂胆をして居るのでは有るまいかと云う不気味さ。
 非常に多くの弱味を持って居るお関は、恭がジーッと自分を見守る目から逃れる気味に成って居た。
 今まで何事も控目に仕て居た恭吉は主人が居ない様な時には昼日中《ひるひなか》あたり介わずにお関に小使をねだったり何と云っても仕事を仕ずにゴロンとなって講談本か何かを読み耽ったりする様に我儘になり出した。
 お関は如何うして好い者か恭に就いてはほとほと困って居た。
 只解雇しても好いには好いかも知れないけれど、それを不服な男が何といって此の家を掻き廻す様な事を云わない者でもないし、其の口止めとして恭の満足する丈の金をやる事もお関の今の有様では出来なかった。
 相談する者も無くてお関は独りで思い惑いながら爆裂弾を抱えて火の傍に居る様な思いをして居た。
 丁度お久美さんを使にやり、主人と重三は町へ出て行った留守で有った。
 お関は恭と二人限り此の家に居る事を少くなからず不安に思いながら主屋で洗濯物を帳面に付けて居ると、洗場の方からブラリとやって来た恭は暫く黙って立って居たが、やがて縁側に腰をかけると何となし意味の有りそうな笑いを浮べながら、
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「ねえお内儀《かみ》さん。
 一体彼の重三さんてえのはどうした人なんです。
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と云い出した。
 お関は努めてせわしそうに帳面から目を放さずに、
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「重三かえ、
 どうした人ってお前家の養子だろうじゃあ無いか。
 何か彼れがしたかい。
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と非常な不安を以て云った。
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「いいえ何も仕た訳じゃあ有りませんがね、
 恐ろしくおのろですぜ。
 よく彼那のを養子になんか仕なさいましたね。
 まるで三春の馬車屋っても有りゃしない。
「何だね、そんな毒口を叩いて。
 彼れだって主人格な男なんだよ、お前から見れば。
 そんなにつけつけ云ってお呉れでないよ。
「有難い御主人さね、へっ。
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 恭は地面に叩きつける様に唾を吐いた。
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「まあお前、今日はどうかして居るね。
「もうとっくに如何うか仕て居ますよ、
 御陰様で。
 ねえ、お内儀さん、
 彼の重三って人を貴女は後とりに定めたんですか。
「そうさね、
 定めずに連れて来る者は居ないじゃないか。
「へえ、そうですか。
 あんな薄馬鹿にゆずるんですか。
 そいじゃあ一体私はどうなるんです。
 このまんま御払い箱はひどすぎますぜ。
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 お関は急に今までの恭の様子がすっかり飲み込めた。
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「何だね、そいじゃあお前は此の家を望んで居たんだね。
「あたり前ですよ。
「そんな事って有りゃあ仕ない。
 そりゃあ余りだよ。
 第一そんな事が有っちゃあ御先祖にすまないじゃあないか。
「そいじゃあ何故貴女彼那事を仕たんですえ。
 好きな時には勝手に慰んで居ようが、邪魔に成ったら早速お払い箱か。
 そいじゃあすみますまいよ。
 私もこんな事こそ仕て居るが男一匹です。だまって、はいそうですかと云えると思ってなさるんですかね。
 年よりゃあ此れでも苦労人ですよ。
 そんなお坊っちゃんじゃあ有りませんや。
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 お関は真青な顔をして下を向いて黙って居たが、いきなり頭を上げると噛み付く様に鋭い声で、
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「お前、人を強請《ゆす》る気だね。
 若しそんな事をすりゃあ、只じゃあ置かないよ。人を馬鹿にして。女だと思って馬鹿にするんだろうが、いくら女だって霊いが有るよ。
 主人は主人さ、人面白くもない。
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と傍に有った物尺を握って神経的に口元をビクビクと震わせた。
 恭は皮肉に笑いながら、
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「お内儀さん、
 一寸の虫にも五分の魂ってね。
 そう踏みつけてもらいますまい。
 貴女の蒔きなすった種は貴女が刈りなさるのさ。
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と云ってニヤニヤしながら又洗場の方へ行って仕舞った。
 恭は愉快で有った。
 重い鏝の火加減を見ながら口笛を吹いたり唄を唄ったりし
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