飼い、裏の空地に葡萄棚さえ作って朝から晩まで落付く時なくせかせかして居た。
けれ共豚は子をせっせと産んで行くばかりで、それをどうやったら一番上手な遣り方で儲けられるかと云う事も分らなかったし、葡萄もどうすると云う程は土地の故でならなかったので、夢にまで五円札十円札を見てうなされながらお関は進みも退きもしない貧しさの中に立ちどまって居なければならなかった。
そんな時に、奉公先から片附けてもらって或る小間物屋の女房になって居たお駒が、顔に出来た腫物のために死んだ夫の一週忌もすまない内にその後を追いかける様にして自分も気病みが元で死んで仕舞った事は種々な点でお関を困らせた。
たった一人残されたその時十一の娘のお久美さんをどうしても自分の方へ引きとらなければならない事は染々《しみじみ》とお駒の在世をのぞませた。
主人も「どうせ子供だね、知れたものだよ」と云って居るので到々広い世の中に寄る辺ないお久美さんは山田の「伯母さん、伯父さん」に育てられる事になった。
お久美さんはお駒よりも却って父親に似て居たので、お関などとはまるで違った顔立ちと体つきを持って居た。
髪等も房々と厚くてどこか素なおらしい体つきの子であったが、まだ十三四で、四肢も木の枝を続ぎ合わせた様に只長い許りで、肩などもゴツゴツ骨張った様な体の中は、お関はお久美さんに対して何にも殊[#「殊」に「(ママ)」の注記]った感じは持たなかった。
時にはほんとに可哀そうな気になって、
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「お前の様な者が好い身寄りを持たないのは不仕合わせだね。
私共の様な所じゃあ何も出来ないからね。
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などと云う事も有ったけれ共、一度一度と日の登る毎にメキメキと育って来たお久美さんがすべての輪廓にふくらみと輝やかしさを持って来ると、お関はその力の満ちた様な体を見る事だけでも、一種の押えられない嫉妬と圧迫を感じた。
出来る丈見っともなく仕て置かなければならない気持でお関はいやがるお久美さんを捕えて、「働き好い」と云う口実で彼《あ》の西洋人の寝間着の様なブカブカしたものを夏にさえなれば着させて置いた。
けれ共其れは何にもつまりはならなくて、若さはその白い着物の下にも重い洗濯物を持ちあげるたくましい腕にも躍って、野放しな高い笑声、こだわりのない四肢の活動は却ってその軽く寛やかな着物の
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