り和らげられて響いて居たのである。
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「なあに、何でもないさ。
 わし等を嫉んで奴等下らん事を云うとる。
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と主人は楽観して居て、自分達に加えられる批難の多ければ多い程自分の仕事は大きな力ある物なのだとさえ考えて居た。
 或る時は鉱山師であり或る時は専売特許事務所の主人でありしたけれ共、いずれも只一時の事で、かなり山田の主人として成功した事と云えば七八年前から始めて今に至って居る西洋洗濯であった。
 それも大抵の事はお関が切り盛りして顧客の事から雇い男の事まで世話をして居たので漸々今まで続いたので、主人は相変らず選挙運動だ何だ彼だと騒いで居た。
 けれ共一二年前からはどうした事か急にキリスト教を盛に振り舞わして何ぞと云っては、
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「それは神の御心に叛く事と云うものだ。
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とか、
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「我々が斯うやって飯を食えるのは一体どなたの御かげだ。
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などと云って居た。
 山田の主人はキリスト教は只世間の「馬鹿共」へ対しての方便だと思い、
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「な、そうだろ。
 だからやっぱり信じとった方がいい。
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 誰もお前『神様、神様』と云うとるものが泥棒だとは思わんもんな。
 そうすりゃあ万事トントンに行くにきまってる。
とお関にも説き聞かせたのでお関もその気になって、
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「うちでもね貴方この頃めっきり人が変りましてすよ[#「変りましてすよ」はママ]、キリスト様を拝む様になりましてからね。
 前には随分気が荒くて困りましたけれど、もうちっとも大きな声も出しませんでね。あらたかなものでございますねえ。
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などと云って居た。
 其那有様で、今は西洋洗濯でまあどうやら行って居るのだけれ共、主人が考えなしにポンポンと借りて来る金を返すにいつも追われる様なので、子供の時分から貧困に頑なにさせられたお関の病的な気持は又もう一度巡って来た変転期にすっかりかたく強められて仕舞ったのである。
 お関は自分達が惨めであればある程少しでもゆとりの有る生活をして居る者が嫉ましくて、彼れでさえあの位には暮して居るのにと思うのが原動力になって、季節季節には欠かさず養蚕をし、利益の多いと云う豚を
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