1−91−24]子の思う程はっきり十六のお久美さんに解ろうとは思って居なかったけれ共そう云わずには居られないのであった。
一日一日と※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の心は様々な遷り変りをした。
或時は自分の周囲の者すべてを例えそれが人の命を奪った大罪人でも快い微笑と手厚さで迎えたい時が有った。
又或る時には世の中の隅から隅までその中に蠢いて居、哀れに小っぽけな自分までが厭わしく醜くて自分の命、人の命などが何のために如何《ど》うしてあるのか無茶苦茶に成って仕舞った時も有ったけれ共、大海の底の水は小揺ぎもしない様に、幾多の心の大波の打ち返す奥の奥には「私のお久美さん」が静かに安らかに横わって居た。
そしてどんな時でも世話をしてあげなければならない自分で有った。
お久美さんはよく先の切れた筆でロール半紙にヌメラヌメラとまとまりなく大きく続いた字の手紙を寄こした。
取り繕わない口調でたどたどと辛い事悲しい事を云ってよこされると※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子の目の前には惨めなお久美さんの様子がありありと浮んで見えた。
殆ど無人格な様な年を取った主人を無いがしろにして何でも彼んでもお関の命のままに事の運ばれて行く山田の家庭はごった返しに乱れて居て口汚い罵りや、下等な憤りが日に幾度となく繰返されて居る中で、突きあげられたり突き落されたりして居るお久美さんの苦しさは到底その上手くもとらない口で云い現わす事などの出来るものじゃあない事はよくよく※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子も知って居た。
お久美さんはお関に取ってたった一人しか無かった妹の娘なのだけれ共病的な心は真直に可愛がる事をさせないで、年と共にお久美さんが娘々して来るにつれて段々と激しい虐め方をした。
お久美さんも其れを知って居た。
※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子もそれをさとって居た。
けれ共時の力を押える訳には行かなかったのである。
四
お久美さんと約束の日が来た。
※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]子は朝から何となし落ち付けない気持でカタカタと机の上を片づけたりして居たが、お昼を仕舞うと先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐ、髪を一寸撫でつけるなり飛ぶ様にして家を出て行っ
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