おのずから低きに
――今日の新聞小説と文学――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)所謂《いわゆる》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三九年十一月〕
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          一

 文学的作品としての面から新聞小説を見れば、もとからそれに伴っていた種々の制約というものは大して変化していまいと思われる。読者が、新聞小説に求めている面白さの本質の問題から云わば制約の第一歩がはじまっていることも、時代風俗的なディテールへの作者の適応性が要求されていることも変りはないであろう。
 しかし、今日の文学のありよう、作家のありようとの関係では、新聞小説というものが殊に微妙な作用をもって来ているのではないだろうか。昨今の外部的な条件は、例えばいつぞや『朝日新聞』が石坂洋次郎氏の小説をのせる広告を出したら、急にそれはのらないことになって坪田譲治氏の「家に子供あり」になったような影響を示す場合もあるけれどもそれは、文学にとっては相対的な条件であって、この頃、或る種の作家たちが新聞小説に対してもっている感覚には、もっ
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