いのちの使われかた
宮本百合子
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(例)家庭の女の用事[#「女の用事」に傍点]と
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わたしたちが、ほんとに人間らしく生活したい、という希望を語るとき、誰がそんなことは生意気な望みだというだろう。みんな、わたしもそう思う、と答える。
ところが、実際の毎日の生活で人間らしく生きるということは雑作ないことだろうか。決してそうではない。こんにちの日本のすべての事情は、人間らしく生きるということに必要ないろいろの条件を欠いている。食糧の問題、住宅の問題、交通の問題そのほか。
いまの日本に特別つよくあらわれているそれらの困難については誰しも十分知っているけれども、勤労する人々の生活にとっては更にもう一つ深刻な問題がある。それは時間の問題である。
「時間は人間成長の箱である」そういう有名なマルクスの言葉がある。マルクスは、この詩人が言いそうな言葉を、賃労働の研究をした経済の本のなかに書いている。人間の一生は、それが一生として語られる本質から、時間の枠で押えられている。よしんばそれが八十年であるにしろ百年であるにしろ。――だから、人間がどう生きるかということは、生きている間の時間が、そのひとの幸福と人間らしい成長のために、どう使われ、内容をつけられたか、ということで決定する。マルクスが、経済学の本に、特に、賃銀とはどういうものかということを研究した本のなかで、世界の勤労者に、君たちの時間は、どう使われているか、ということについて注意をよびおこしたのは、実に意味ふかいことであった。君たちの時間はどう使われているか、ときかれたとき、二十四時間の大部分が、労働のため「時は金なり」という格言を一分も忘れない企業家の利益のために使われていることの人間らしくなさに苦しんで、アメリカの労働者は、はじめてのメーデーに八時間の労働、八時間の休息、八時間の教育というスローガンをかかげたのであった。
労働時間のことは、労働組合のかけ合う問題という風にだけ考えることは、人間として大切なその意味をつかんでいないことになる。男女平等と憲法でかかれたとしても、男女が平等に十時間も十一時間も働いて、くたくたになって、かえったら眠って翌朝また出勤して来るだけのゆとりしかなかったら、その男女平等は、男女が平
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