学性だのという概念でかためてしまってきた。それというのも、裏がえしてみれば、作家の社会的位置というものが、おくれた日本の社会の中では低く不安だから、逆に存在意義として個々の才能の自由競争を強いられる結果であった。他の生産部門にたいして、とくに社会を皮相からみたときには、いつもそれだけが支配力をもつような政治・経済の力に抗して、文学の独特な価値を肯かせようとして、ほかの仕事とは違う、違うと、ますます手足の萎《な》えた状態に自身を追いこんだ。勤労階級と、文学が遊離してきた原因も、この事情の他の一面のあらわれであった。古風なものの考えかたでは、頭脳の労作と筋肉的労作との間に、人間品位の差があるようにあつかわれた。社会のための活動の、それぞれちがった部門・専門、持ち場というふうには感じられていなかった。その古風さに、近代の出版企業が絡んだ。出版企業は、作家を原料加工業、読者を市場としてみるにすぎない。営利出版は、本質がそうである。将来にわたる文化の沃土として作家や読者大衆をみない。この条件は、作家をわる巧者にして、自分にとっても曖昧な「文学性」の上に外見高くとまりつつ稼ぎつづけで、消耗されてき
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