けた。そのA級が大部分、役人にいわせれば禁止A級に入れられていた。役人が執筆させたいAの方には、通俗的また軍国的文筆家が大多数を占めていた。
軍事行動邁進の三年という年月に、ジャーナリストたちの自立も弱められた。新聞は、もう再度の文化暴圧にたいして、発言しなかった。進歩的な作家たちも、それについて理性からの批判は示しえなかった。舟橋聖一氏がこの間発表した「毒」という小説は、作品としては問題にするべきいくつかの点をもっているけれども、あのころ、わが身を庇うために、日本の知識人がどのくらい自負をすて卑劣になり、破廉恥にさえなっていたかという姿だけは、示しえている。
個人の問題ではなく、文学の置かれている非道な境遇として、中野や私は、なんとかそれを全般の関心事としたかった。進歩的な精神をもち、行動も消極ではないある評論家を二人で訪問した。今回の情報局のやりかたは正しくないという意見の、雑誌編集者もいあわせた。いろいろの事情を綜合し、文学者たちの気分を研究し、つまり、意味ある反応は期待しがたいという結論になった。この時期になると、こわいものに近よらず、自分たちを守るのが精一杯、という気風が瀰漫して、その人々のために、幅ひろい、なだらかな、そして底の知れない崩壊への道が、軍用トラックで用意されていたのであった。
そのころ、文芸家協会の事務所が、芝田村町の、妙に粋めいた家に置かれていた。一室に事務所があった。私は、ある午後、ひとりでそこを訪ねた。英文学の仕事をしていた某氏が事務担当をしていた。私の用事は、前に中野さんと某氏を訪ねたとおなじ題目であった。文芸家協会は、大正年代に組織され、古い歴史をもつ日本で唯一の文学者の集団である。理事というところには、日本の代表的著述家・作家が顔をならべている。これらの人々の顔ぶれの世俗的に賑やかな体面上からも、日本の文学が瀕している危機にたいして黙っていられないはずであろうと思えた。こちらからの話があれば、文芸家協会の議題にのぼることなのだろうか。
光線のたりないその事務室で、正直な某氏は、苦渋の面持ちであった。
「それは、もう当然、問題にするべきなんです。しかし……今の理事は――」
「どなたから提案なさるということも不可能なんでしょうか」
「率直にいって麻痺していますからね、どの点からも――。想像もしていないでしょう」
「しかたが
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