ないというわけかしら」
 某氏は苦痛な眼つきでしばらく沈黙していた。
「――どうも。だいたい、自分に関係のあることだと感じていないんだから、しまつがわるいです」
 こういうことがあってしばらくして、文芸家協会は改組した。ばからしい、いかめしい官僚組織になって、文学報国会となった。評論家協会は、言論報国会となった。文学報国会の大会では、軍人が挨拶をし、一九三一、二年代に、文学の純粋性といって、プロレタリア文学に極力抵抗した作家たちが、群をなして軍国主義御用の先頭に立ったのであった。

 こういう文化上の悲劇、作家一人一人の運命についていえば目もあてられない逆立ち芸当をつとめるにいたった理由は複雑であろう。根源には、日本の近代社会のおくれた本質が、作家の全生活に暗く反映している。跛な日本の経済事情そのものから生じている出版企業の不安定と結ばれた作家の経済事情の、文明国らしくないあぶなかしさがある。それらのことから派生して、日本の作家はこれまであまり個々の才能を過大に評価しすぎたし、文学創造の過程にある心的な独自性、ほかの精神活動にないメンタルな特性の主張を、おおざっぱに文学の純粋性だの、文学性だのという概念でかためてしまってきた。それというのも、裏がえしてみれば、作家の社会的位置というものが、おくれた日本の社会の中では低く不安だから、逆に存在意義として個々の才能の自由競争を強いられる結果であった。他の生産部門にたいして、とくに社会を皮相からみたときには、いつもそれだけが支配力をもつような政治・経済の力に抗して、文学の独特な価値を肯かせようとして、ほかの仕事とは違う、違うと、ますます手足の萎《な》えた状態に自身を追いこんだ。勤労階級と、文学が遊離してきた原因も、この事情の他の一面のあらわれであった。古風なものの考えかたでは、頭脳の労作と筋肉的労作との間に、人間品位の差があるようにあつかわれた。社会のための活動の、それぞれちがった部門・専門、持ち場というふうには感じられていなかった。その古風さに、近代の出版企業が絡んだ。出版企業は、作家を原料加工業、読者を市場としてみるにすぎない。営利出版は、本質がそうである。将来にわたる文化の沃土として作家や読者大衆をみない。この条件は、作家をわる巧者にして、自分にとっても曖昧な「文学性」の上に外見高くとまりつつ稼ぎつづけで、消耗されてき
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