たのである。
戦争の年々は、私たちすべてに、苛烈な教訓を与えた。個々の作家の才能だけきりはなしてどんなに評価しても、全般にこうむる文化暴圧に対抗するにはなんの力でもなかったことを、まず学んだ。それにつけても、文筆の活動で生計を立ててゆかなければならない私たちの必要は、食うためにはそれもしかたがない、という過去、あるいは現在の諸条件を、生存するばかりか人生のための仕事なのだからこそ、ここまで高まらなくてはならないと社会的に主張し、努力してゆくのが、私たち作家の任務であると知らしてきていると思う。
作家一人一人の仕事ぶりについてみれば、文学の創造過程の独自さから、それはめいめいのやりかた、めいめいの住居での仕事場というふうに、別々に行われる。この事情は、それだから作家や評論家は、社会的本質がバラバラなものだという理由にはならない。そういう個々の具体的状態において、一貫性をもっているのである。
民主的な社会生活の確保ということがいわれ、文学の民主性ということが話されるとき、とかく、題材の方へばかり目がくばられる。あるいは、文学をとおして大衆との結合というふうに相対の形態を考える。しかし、作家たちが社会機構の中で保守封建なものとたたかいながら、営利資本の圧力に抗しつつ自身とその芸術を新しくし、なおさらに新しい作家と文学とをもりたててゆこうと欲するとき、自分たちの文学活動の自立性を、民主の立場にたって、経済的に政治的に守る力さえもたないで、どうして遠大な希望にふさわしい実力をもちえよう。これまでにも、民主の方向をもつ文学団体というものは出来ている。それだけでは、まだ盾の半面が欠けている。文学が、社会の文化生産の労作であるという本質を理解して、作家たちが、他の文化関係の全勤労者の組合と連繋をもつ、著作者としての組合をもつなら、作家の社会的にあらわしうる能力は「文士」の域から必ず脱しうるであろう。日本の自覚あるすべての勤労者が、歴史のうちに描きだす自分たちの人生を大切に思い、自分たちの生命の価値を表現する職務を愛し、自分とすべての人々のために力ある組織をもちはじめているいま、人生を感受することの最も鋭いはずの作家たちが、自分たちも組合をもとうと希望するのは、ふしぎのないことである。
日本の将来には、幸にしてもう二度とふたたび治安維持法は出現しないだろう。軍人どもが文化を殲
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