に一生を送ったことについても、浅からぬ感銘を与えられているのではなかろうか。
同じ死ということでも、藤村の死去ときいて、私たちには儀式めいた紋付羽織袴のそよぎが感じられた。秋声が遂に亡くなったときいたとき、私たちは、自分たちの生涯の終りにも来る人一人の終焉ということを沁々感じたのであった。
藤村の文豪としての在りかたは、例えてみれば、栖鳳や大観が大家であるありかたとどこか共通したものがあるように思う。大観、栖鳳と云えば、ああ、と大家たることへの畏服を用意している人々が、必ずしも絵画を理解しているとは云えないのと同じである。
秋声は、畏れられる作家、そういう大家ぶりの作家ではなかった。世俗的な威風に満たず時に逸脱しその逸脱の本質は「元の枝へ」と「仮装人物」が「新生」と異るように異るものであった。藤村はおどろくばかり計画性にとんだ作家で、その自己に凝結する力は製作の態度から日常生活の諸相へまで滲み透っていた。藤村の生きかたでは、逸脱は或る意味で彼の人生にとって過誤であった。けれども秋声の場合には、過誤ではなく、彼のように生きることに即して生きた人が、ああもし、こうもして生きてみた、そ
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