の一つの姿という関係にある。自己放棄の道を通ってさえも秋声は常に動く人生の中に自分をおいて、ともに動いて自分を固定させなかったということを秋声短論の中で広津和郎氏が云っているのは、秋声の根本の特色をとらえていると思う。
 秋声は、ほんとうに自分を生きながら記念像としなかった秀抜な作家の一人であった。散文家としての秋声は、客体的な力量という点で、評価されるべき作家ではないだろうか。日本の近代文学における散文の伝統というようなものが将来注目されるなら、秋声はまぎれもなく一つの典型として不動の地位にある。一応文学趣味を今日も満足させている芥川龍之介の散文が、教養的であっても、極めて脆い体質をそなえていることなどと著しい対照をも示すわけだろう。
 藤村の歿後、何かの新聞に島崎鶏二氏の書いた文章を見かけた。そして生涯精励であるいかなる作家も、最後には、自分で書ききれない一篇の小説を、自分の人生の真髄に応じて後に生きつづけてゆく者の間へ遺すものだということにこころうたれた。



底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和6
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