あられ笹
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)随《したが》えて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)その鳥居の奥|下手《しもて》に、
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        宗達

 宗達の絵の趣などは、知っている人には知られすぎていることだろうが、私はつい先頃源氏物語図屏風というものの絵はがきに縮写されているのを見て、美しさに深いよろこびを感じた。
 宗達は能登の人、こまかい伝記はつまびらかでないが寛永年間に加賀侯に仕え、光琳によって大成された装飾的な画風を創めた画家である。と辞典に短かく書かれてある。
 なるほど、小さい絵はがきに見るこの源氏物語図屏風にしろ、魅力をもって先ず私たちをとらえるのは、大胆な裡にいかにもふっくり優しさのこもった動きで展開されている独特な構図の諧調である。
 後年光琳の流れのなかで定式のようになった松の翠の笠のような形に重ねられる手法、画面の中央を悠々とうねり流れている厚い白い水の曲折、鮮やかな緑青で、全く様式化されながらどっしりと、とどこおるもののない量感で据えられた山の姿、それらは、宗達の絵の世界にあらわれて、まだちっとも使い古されていない珍らしさ、瑞々しさで活きている。
 大変親愛なのは、宗達がそのように背景をなす自然を様式化して扱いながら、その前に集散し行動している人々の群や牛などを、いかにも生気にみちた写生をもとにしているところである。
 眺めていると、きよらかな海際の社頭の松風のあいだに、どこやら微かに人声も聴えて来るという思いがする。物蔭の小高いところから、そちらを見下すと、そこには隈なく陽が照るなかに、優美な装束の人たちが、恭々しいうちにも賑やかでうちとけた供まわりを随《したが》えて、静かにざわめいている。
 黒い装束の主人たる人物は、おもむろに車の方へ進んでいる。が、まだ牛は轅《ながえ》につけられていない。華やかな人間の行事にも無関心な動物の自然さで、白と黒との立派な斑牛はのんびり鼻面をもたげ主人にそびらを向け、生きていることが気持よいという風に汀に向って水を飲んでいる。
 視角の高い画面の構成は、全体が闊達で、自在なこころの動きがただよっている。自然の様式化と、人物の、言葉すくない、然し実に躍動している配置とは旋律的な調和を保っている。ここには、自然の好きな人間の感覚それにもまして人間の生活、種々様々な人間の動きということが面白くて、気にも入って観ている人間の観かた、入りこみが流露しているのである。
 しかも宗達は、こんなに柔軟で清新な芸術の世界で、いかにも微笑まれる技術の上の手品を演じている。
 画面の左手に、あっさり鳥居がおかれている。画面の重心を敏感にうけて、その鳥居が幾本かの松の幹より遙に軽くおかれているところも心にくいが、その鳥居の奥|下手《しもて》に、三人ずつ左右二側に居並んでいる従者がある。
 同じ人物でありながら、この三人ずつの一組は、鳥居の外から中央に至り、さては上手の端の牛飼童に終る一群の人々とは、何と別様に扱われていることだろう。
 画家は、画面のリズムの快よい流れの末としてこの六人を見ている。そのために、鳥居とそのうしろの雄渾な反り橋の様式化に応じて、これらの人物は人物ながら、静的に、自身の動きを消されたものとして、衣紋さえ、こちらの群の人たちの写生風なのとは全然違った様式で統一している。
 更に、思わず私たちの唇をほころばせ、つづいてその画魂に愉快を覚えるのは、宗達がこの三人ずつの一組のところで、遠近法というものを、さかさまにしている点である。
 こんな小さい縮写でさえ、力量の目ざましさにうたれる宗達が、遠くに在るものが、近くにあるものより小さく見えるという日常の事実を、どうして知らないわけがあろう、彼は十分知っている。その上で、この三人ずつ二側の人物は、顔をこちらに向けている遠い三人をやや大きく、背中だけを向けている近くの三人は却ってごく小さく描き出しているのである。
 宗達の芸術家としての直感が、生命の爽やかさに充ちていたことが、ここにも窺われると思う。彼は、画面の隅から隅までが豊かに息づいて滞らないことをのぞんでいる。もし背中だけ向けている三人を大きく出せば、生動する画面に計らず一つらなりのめくら壁が立つ結果になって、リズムはそこで阻まれるだろう。芸術家らしさで、其処を鋭く洞察している。そして、子供が絵をかきはじめるときは、よしんばそれが「へへののもへじ」であろうとも、まず顔に目をひかれ初めるものであるという人間の素朴本然な順序に、すらりとのりうつって、こちらに顔を向けている三人の距離を、人間の顔というよすがによって踰《こ》えている。偶然によってではなくて、はっきりした考えをもって、芸術の虚構の効果をあげて
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