あとがき(『二つの庭』)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)位置《ロケーション》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]
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「伸子」の続篇をかきたい希望は、久しい間作者の心のうちにたくわえられていた。
 一九三〇年の暮にモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から帰って、三一年のはじめプロレタリア文学運動に参加した当時の作者の心理は、自分にとって古典である「伸子」を、過去の作品としてうしろへきつく蹴り去ることで、それを一つの跳躍台として、より急速な、うしろをふりかえることない前進をめざす状態だった。
 一九三二年の春から、うちつづく検挙と投獄がはじまった。その期間に作者はしばしば一人の人間、女としての自分の人生について考えずにいられなかった。人間の生活が現在にあるよりももっと条理にかなった運営の方法をもち、互に理解しあえる智慧とその発露を可能にする社会の方がより人間らしく幸福だという判断、あこがれに、何の邪悪な要素があるだろう。よりひろやかで、充実した人間性を求めるということのために、権力は自由を奪い、人間檻のなかにうちこんで、時間に関する観念や自分のいる位置《ロケーション》についての観念を全く失わさせ、番号でよんで、法律でさばくという状態は、野蛮であり、資本主義の権力の非理性さである。一人の人間が歴史に目ざめるということ、歴史の現実そのものが一人の人間を社会主義への展望に成長させてゆく過程はヒューマニティそのものの問題である。思想検事が「ここにおいて被告はマルクス主義思想を抱懐するにいたり」と法廷でよみあげる告発の文書の文句とは、まるでちがった本質と道ゆきとをもつことである。
「伸子」の続篇を書きたいと思いはじめたのは、この時分からのことである。しかし、この願いは一九四五年の八月十五日が来るまで実現しなかった。「伸子」以後の伸子がめぐり合った現実は、一家庭内の紛糾だけではなかったし、恋愛と結婚に主題をおいた事件の連続だけでもなかった。一九二七・八年からあとの日本の社会は、戦争強行と人権剥奪へ向って人民生活が坂おとしにあった時期であり、そこに生じた激しい摩擦、抵抗、敗北と勝利の
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