あとがき(『幸福について』)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)遷《うつ》って

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四七年十一月〕
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 私たち日本の女性が今日めいめいの生活にもっている理想と現実とは非常に複雑な形で互に矛盾しからみあっている。しかもその矛盾や葛藤の間から、私たちの二度とくりかえすことのない人生の一日一日が生み出され、歴史は発展しつつある。
 今日すべての人々が困難に感じていることは何だろう。それは現実があまり切迫して、早い速力で遷《うつ》って行くから、一つの行動の必要が起ったとき、その意味や価値をじっくり自分になっとく出来るまで考えているゆとりがなくて、ともかく眼の前の必要を満たすように動かなければならないということではないだろうか。あらゆる現象が私たちに考えることを要求している。それだのに、そのあらゆる現象そのものの流れの早さが、逆に私たちに考えるべき時間さえあたえない。
 こういう現実の激しい流れと、生活の流れが、無意味なものではなくて、はっきりと歴史をすすめるものであることを、私たちは改めて感じ合おうとして、この一冊の本は読者の生活の中におかれる。
 夏の幅広い河の流れの中に一つの石が立っている。河の流れはその石にぶつかって波立ちしぶきをあげ小さい虹を立てる。この光景は美しい。水というものが、どんなに変化することが出来、虹となってかかることが、一つの石のあるために証拠立てられる。この本が複雑な激しい希望と困難とのまざり合って流れている今日の生活の中にあって、この石のように、読む人の一人一人の人生はどんなに価値のあるものであり、個人は、どんなに歴史の中でその歴史を変えながら人間の幸福の可能のために、戦うものであるかということが、知らされて行けば、嬉しいと思う。
 この集は第一部第二部と分れている。第一部はおもに一九四〇年頃かかれたもので、『明日への精神』や『私たちの生活』などの中から選ばれた。第二部は一昨年から最近までのものがあつめられている。
 この本にとり集められていない沢山の問題が、今日の女性生活の中にある。七八年前は、「異性の間の友情」とか、「恋愛論」としてしか一般の常識の上にとりあげられなかった両性の社会関係についての考察が、この本の最後に集録さ
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