して、自身の存在意義を見出してゆこうとしたのがこの新感覚派であった。
その時代に「伸子」の作者は、所謂文壇からもはなれていたし、新感覚派からも遠く、無産階級文学運動については、作品をよんでいるだけで、理論的な問題は何ひとつ理解していなかった。足かけ三年作者はひたすら「伸子」に没頭した。人間らしい生活の多様さや発展、生きている甲斐が感じられるような人生をもとめて結婚した一人の若い女が、あいてと自分との結婚生活の現実に見出したものは、無目的で、エゴイスティックな理想のない日々の平安への希望だけであった。流れ動き生成する男女の結合こそ愛とよばれるべきものだと信じている一人の生活的な女にとって、当時の日本の通念であった家庭の平和の観念や、夫婦愛家庭愛における女の無主張の立場は恐怖を与えた。結婚にからむ親たちとの相剋も非条理に思えた。二十歳の女の人生をその習慣や偏見のために封鎖しがちな中流的環境から脱出するつもりで行った結婚から、伸子は再度の脱出をしなければならなかった。世間のしきたりから云えば十分にわがままに暮しているはずの伸子がなぜその上そのように身もだえし、泣き、そこは自分の生きられると
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