あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)異国趣味《エキゾティシズム》

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(例)やけど[#「やけど」に傍点]させたばかりでなく、
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 一九三〇年の暮にソヴェト同盟から帰って来て、翌年「ナップ」へ参加するまで、わたしは評論、紹介めいたものを書いたことがなかった。また、人の前に立って、文学についてそのほかの話をしたという経験もない。そして、それを自分の気質と思っていた。
 ところが、この枠はまず思いがけない機会からモスクワで打ち破られ、段々わたしは自分の文学活動の範囲に、小説よりほかのものをうけ入れるようになって行った。わたしの場合、それはあきらかに作家としての社会性の拡大であり、また進歩的な文学者の良心的義務の一つであるという自覚であった。
 一九三一年、一月号の『ナップ』に「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」をかきはじめてから、わたしの評論的活動がはじまった。
 選集第十巻に収められている文学評論は、一九三一年から三六年(昭和六年――十一年)ごろまでの間にかかれたものである。その一つ一つを、こんにちわたしたちが民主主義文学運動のなかにもっている諸問題とてらしあわせてよむとき、深い興味があるばかりでなく、むしろ駭然とさせられるところがある。この一巻に集められている二十数篇の評論、批評は、理論的に完成されていない部分や、展開の不十分な面をふくんでいるにもしろ、日本の人民階級の文学、人間解放のため文学がもっている基本課題をとりあげ、それを正当に推進させようとする努力において、ちっとも古びていないばかりか、民主主義文学の時代に入ってからこと新しく揉まれて来ている階級性の問題、主体性の問題、社会主義的リアリズムの問題、文学と政治の問題などが、これらのプロレタリア文学運動の末期の評論のうちに、その本質はつかみ出されているということを再発見する。
 この事実は、わたし一個人の達成としてとりあげられるのではない。日本でプロレタリア文学運動がこんにちのわたしたちの活動のために基礎づけたものの積極面が、はっきりくみとれるという意味なのである。
 一九三六、七年以後から十年の歳月は、日本の人民とその文学にとって、野蛮と死の期間であった。
 実に、この十年の空白の傷は大きく深い。そして、こんにち商業新聞の頁の上に、昭和初頭と同じように講談社、主婦之友出版雑誌の大広告を見るとき、この評論集におさめられている「婦人雑誌の問題」の本質が、更に複雑な隷属の要因を加えて、わたしたちのこんにちの文化問題であることを知る。「今日の文化の諸問題」をふくめて。
 一九三一年七月中央公論のためにかかれた「文芸時評」は、全篇がその五月にもたれた「ナップ」第三回大会報告となっている。中央公論の編輯者ばかりでなく、多くの人が、その素朴さにおどろいた。わたしはそんなに人におどろかれるわたしの素朴さというものがわからなかった。そんなユーモラスな一つの記録も、こんにちよめば、制服の警官が臨監して、中止! 中止! と叫ぶ場内の光景はいきいきと目にうかんで来る。われわれの文学史の、これが生きた一頁であった。
「一連の非プロレタリア的作品」という論文は当時やかましく論議されたものである。わたしという一人の作家にふれる場合、見のがすことのできない母斑のようにあつかわれても来ている。民主主義文学運動がはじまってから蔵原惟人、小林多喜二、宮本顕治にふれて、当時の検事局的に歪曲された「政治的偏向」批判をそのままくりかえし、これらの人々の活動の積極面――プロレタリア文学運動の成果の抹殺が試みられた。それは、客観的には、非民主的諸勢力への加担を結果することである。「一連の非プロレタリア的作品」を思い出させることで、わたしの現在での活動や発言を牽制する効果を期待するとすれば、それは不可能である。
 あの評論にふくまれている誤謬は、プロレタリア文学の戦線拡大に対する政治的態度の未熟さと、そこからひきおこされた文学に対するピューリタニックな熱情の噴出にあったのだった。それは、作品を批評された作家たちにやけど[#「やけど」に傍点]させたばかりでなく、筆者自身も自分の噴き出した火焔をあびた。
 こんにちになれば、「一連の非プロレタリア的作品」を書いた当時のわたし自身の政治的な幼稚さはよくわかる。同時に、その評論をめぐって、そこに猟犬のように群がりたかって、わたしを噛みやぶり泥の中へころがすことで、プロレタリア文学運動そのものを泥にまびらす役割をはたした人々の動きかた――政治性も、くっきりと描きだすことができる。それは、かみかかった人々のみんなが、わたしと同様に若くて、幼稚だった、という
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