精神総動員的な全体主義文化論が提唱されて来ていた。文学は、当時の軍人、官吏、実業家の中心問題をその中心課題とすべきだという「大人の文学論」(林房雄)。客観的には、批判の精神を否定して、「知らしむべからず、よらしむべし」の全体主義文化政策に知識人が屈従するための合理化となった「文化平衡論」(谷川徹三)。「文学の非力」(高見順)という悲しい諦めの心、或は、当時青野季吉によって鼓舞的に云われていた一つの理論「こんにちプロレタリア作家は、プロレタリア文学の根づよさに安んじて闊達自在の活動をする自信をもつべきである」という考えかたなどについて、作者は、ひとつ、ひとつ、そこにひそめられているファシズム文化政策への追随の危険をえぐり出そうとしている。
日本民族文化の優位性を誇張し、妄想する超国家主義の考えかたから、真の民族生活の存在のありかたをはっきり区別しようとして、横光利一をはじめ、亀井勝一郎、保田与重郎、中河与一等の「日本的なもの」へのたたかいを行っている。
一九三三年ナチスが政権をとってのち、フランスを中心としてヨーロッパ、アメリカには反ファシズム文化擁護の大運動がおこっていた。
一九
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