あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)下宿《パンシオン》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四八年一月〕
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 この一冊におさめられた八篇の小説は、それぞれに書かれた時期もちがい、それぞれにちがった時期の歴史をももっている。
「一本の花」は一九二七年の秋ごろ発表された。長篇「伸子」を書き終り、ソヴェト旅行に出かける前の中間の時期、いくつか書いた短篇のうち、これは一番長いものであった。過去三年あまりつづいて来た女ばかりの生活に微妙な単調さを感じる心が動きはじめていると同時に、自分の書く作品の世界にも、疑問を抱きはじめている時期であった。「一本の花」には、そういう動揺の気配がよくあらわれている。腐敗した古い婦人団体の内部のこと、町の小さい印刷屋の光景、亀戸あたりの托児所の有様などいく分ひろがった社会的な場面をあやどりながら、何かを求めている女主人公朝子の姿が描かれている。朝子が何を求めているかということを朝子が知らないばかりでなく作者にもわかっていなかった。ただ、心に訴えるものがある。鳴ろうとして鳴るためには何かがかけているという心の状態が朝子によって現わされている。「一本の花」は、作者にとって、作家生活の前半期のピリオドとなった作品である。「貧しき人々の群」から、さまざまな小道に迷いこみながら「伸子」に到達し、それから比較的滑らかにいくつかの短篇をかき、やがてそういう滑らかさの反復に作家として深い疑いを抱きだした、その最後の作品であるから。この作品を書いて程なく、ソヴェトを中心とするヨーロッパ旅行に出発した。
「赤い貨車」は一九二八年の夏、ソヴェトで書いた。レーニングラードの郊外の「子供の村」という元ツァーの離宮だった町に、プーシュキンが学んだ貴族学校長の家が、下宿《パンシオン》になっていた。そこで書いた。一九二八年の八月一日には、弟の英男が思想的な理由から二十一歳で自殺した。そのしらせを、「子供の村」の下宿でうけとった。「赤い貨車」は小説とすると、比較的外部からかかれている。しかし、当時のソヴェトの生活のごく日常的な面を、自分の見たままリアルにかこうとしている点には意味がある。もっとも「赤い貨車」をかいた頃、作者は自分の見ているソヴェトの現実
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