もとで苦しむ小市民の魂の反抗の影絵でしかなかった。社会主義の社会の建設と、その中からうまれる芸術、文学は、よしやはじめはアンデルセンの物語にあるように「みっともない白鳥のひよこ」であるかもしれないけれども、それは遂に白鳥として成長しずにはいられない。はじめから真白くて可愛くて愛嬌のある雛が、家鴨として以外の大人の鳥にはなれないように。
作者は、社会主義の社会とその文学に単な合理性や今日では正義と云われている社会化された常識を期待するばかりではない。深い深い人間叡智と諸情感の動いてやまない美を予感する。なぜならば、人類の歴史は常に個人の限界をこえて前進するものである。文学の創造というものが真実人類的な美しい能動の作業であるならば文学に献身するというその人の本性によって、人類、社会が合理的に発展前進しようとする活動に共働しないではいられない。創造そのものがきのうの自分から生きぬけて明日にすすむことでしかないのだから。現代において社会主義の社会と文学とは、新しい美感の母胎である。
作者は一九三〇年の十一月に日本へ帰って来た。じき、当時のナップに加盟していた日本プロレタリア作家同盟に参加し
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