あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鏝《こて》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)明るさがうそ[#「うそ」に傍点]でないことが
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 選集第八巻、第九巻に、ソヴェト見学時代のいろいろな報告をあつめることができたのは、思いもかけなかったよろこびである。
 一九二七年の冬から一九三〇年の十一月まで、まる二年七ヵ月ほど作者は主としてモスクワに生活した。一九二九年の春から十二月初旬までパリ、ロンドン、ベルリンなどに行ったが。
 モスクワでの生活と、その生活の感銘をもって比較しずにいられなかったロンドンやパリ、ベルリンの生活から、作者は真に資本主義社会の生活と社会主義社会での生活との相異を実感した。一人の人間として、芸術家として、資本主義社会での現実の考えかた、観かたはいつも真に透徹した明晰さをかいていて、どこかに真実を歪めたりかくしたりする偽瞞をもっていること、詭弁から解放され得ないことを、ソヴェトのそとのヨーロッパ諸国の生活のあらゆる細目から感じた。その植民地問題の論じかたをはじめとして、婦人、子供の問題をふくむすべての社会問題のとりあつかいにおいて。作者は、モスクワ生活でユートピア的に実験的に社会主義を理解したのではなかった。ロンドンに暮しパリを見、ベルリンの病的な印象などとソヴェト生活の現実とを生々しい対比で生きて、そのことから、人類が、幸福を求めて進んで来た歴史の前途に社会主義を確信するようになったのだった。一九二九年の十二月、ヨーロッパの諸国からソヴェトへ帰って来たとき、五ヵ年計画の第一年めがはじまっていて、僅か八ヵ月足らずの不在の間に、モスクワ生活そのものが全面的に変化していたことは、作者に震撼的な感銘を与えた。五ヵ年計画はソヴェト人民にとって、新しい建設のための第二の「十月」であった。
 他のヨーロッパ諸国の社会生活の苦悩と自分から出口をふさいでもがいている自己矛盾とに強い印象をうけて戻って来た作者は、日夜の共感をもって、ソヴェトの人々が社会主義社会を確立するために奮起した情熱と実力とにふれた。社会の現実はどのようにして変り得るものであるか。社会現実の変化はいつのまに生きる人間の感情をさえどのように変化させ発展させてゆくものであるかという相互の関係を、
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