に確信のある夫婦でも妻の方が永年の病にかかったとしたら、妻であるその人に向けられている劬《いたわ》り、憐憫、愛にかわりはないとして、良人のその態度に妻は決して赤子のように抱かれきってはいられまい。心理的にどこかで我が身をひいて考える。その心持には、病人がはたの親切をへりくだった感謝でうけるというのとは、おのずからちがって複雑なニュアンスがこもっているのである。
 思えば、妻は健かでなければならぬという常識の中に、何と深く動かしがたく、家というものにおける女の歴史的な立場とでもいうようなものがほのめかされているだろう。極端な対比というかもしれないが、昔の奴隷市でも女奴隷は美しい上に必ず強壮でなければならなかったにちがいない。病気という不幸が少くとも人間共通の不幸として、そこへ特別女であるために生じる一層の不幸というものが加わって来ないような生活をつくり出して行きたいと願う心を、私たちは自分の世代の願いとして、否定してはならないのだと思う。
 竹内てるよさんは、カリエスという病が不治であることのため徹也という愛児をおいて家を去り、貧窮の底をくぐって、今は、療養の伴侶であり、友である神谷暢氏
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