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けがれたまねは しまいと思う
しっかりと 何よりもまず
自らに立派で あろうと思う
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この生きる態度の決意と愛と真実をこの世に信じる心とは女詩人としての竹内さんの一途の道であると思える。そして、この一途の道は永年にわたる極めて独特な神谷氏との感情生活や、作者の年齢や心情のゆるぎを階子として「オリオンやシリウスたち」「アルゴ星」のように天へ向って高まり、或は「落葉をたく」「萩咲く」のような静的なリリシズムに曲折するのであろう。この愛についても例外的な境地に生きる女詩人が、今既にある峯に立っているその境地のなかで、そのような想念と情緒とをどのように展開し、すこやかに渾然と成熟させてゆくか。愛という字をつかわずに、人々の心に愛の火を点じてゆく芸術の奥義が、どんなにしてかちとられてゆくか、それは明日に待たれてよいのだと思う。
それにしても、女の芸術家の響き立てる女というものの気配は、何と微妙で面白いだろう。竹内さんの詩の心は、例えば苦悩についても、それが衆生のものでなくて、私ひとりのものであったら、何を矜持として生きるものか、とうたわれているとおり包括のひろさにかかわらず、女という響は単数で響いている。女である故にめぐりあったこの世の惨苦を、女である故にもつことの出来た愛の力で生きぬいて来たこの女詩人はまことに純一無垢に女であって、しかも、詩のなかに響く女は単数である。それはおそらく闘病の生活という特殊な条件からも来ているだろう。その境地は清純であるとともに常に一つの女の内部からだけ主観的にうたわれていることに芸術上の問題をも含んでいるのである。
永瀬清子氏の『諸国の天女』(河出書房)は、私という文字で、一人の女の心をうたっている時でも、そのわたしという響のなかに、何とはなしどっさりの女の旺《さかん》な気配が動いていて、『静かなる愛』とは実につよい対照をなす美と生活力とを表現しているのは感興をひかれる。
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諸国の天女は漁夫や猟人を夫として
いつも忘れ得ず想っている。
底なき天を翔けた日を
人の世のたつきのあわれないとなみ
やすむ間なきあした夕べに
わが忘れぬ喜びを人は知らない。
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諸国の天女、女たちが忘れぬ喜びとは何だろう。
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ワガ本性ハカナシ
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