その文学趣味のありかた本質について、作者は考えて見てよいのではないだろうか。
  「秋空」      三津木静
  「春龍胆」     若宮ふみ子
  「何日かは春に」  大橋重男
「秋空」は、まとまっているけれども、後半で女主人公が、自分からはなれたはじめの愛人吉村の心にもどってゆく、その心の過程が、感情の推移を語るにとどまっている。こういう場合、女主人公の吉村に対する心、自省、人間の生きてゆく態度について、より深い省察があると思う。よろこびとハッピーエンドにとどまるのは残念である。
「春龍胆」柔かく抒情的にまとまっている。「何日かは春に」も、素朴だけれども、結核の治癒の可能についての、明るい善意がある。二篇とも、ストレプトマイシンが無料で闘病者のベッドに訪れて来る日を待っているのは、心をうたれる。ストレプトマイシンが療養所でつかわれる日を「何日かは春に」と待っているひとは、日本じゅうに、どれほどいるだろう。
  「可哀そうな権力者」ひとつぎ・たかし
 ここにかかれているまででは不十分である。権力者のきたないからくりを見すかしながら、みすかしてひとまずそれに流されている自分なのだ、と
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