自分の色どりで損わないための努力で、それらの密林は密林のままにしているし、或るところどころで控えめに試みている註解の文章では、ビリューコフという人にそこまでを望むのは無理であるということもわかって来る。セヴァストーポリからかえった時代のトルストイは、ジョルジュ・サンドが大きらいで、彼女の作品をひとがほめるのさえ我慢出来ながっていたことがこの第一巻に記されている。
 ところが一方でトルストイは、女性が只雌であってはならないということをあれほど熱心にその頃の愛人ワレーリヤ・アルセーネワにも書き送っている。そういうトルストイが何故ジョルジュ・サンドは嫌いだったのであろう。トルストイが雌でない女性として描いていたものと、女性であるサンドが雌でない女性として自分たちにかけた望みとの間に、どんな相異があったのだろうか。この点はトルストイの芸術の世界の一面を理解するためにも興味がある。
 トルストイ自身一九一〇年頃には、その文学的考察の一つに、婦人作家の作品がその真情によって示している文学上の価値を評価して日記に書いている。この三点は、トルストイの内的発展の過程でどういう繋《つな》がりをもったのだろ
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