の見るソーニャとは異なったソーニャの彫像の最後の仕上げをしている時であった。彼女の手にあるのはソーニャの体である。どうしてそれの仕上げをつづけていられよう。
 しかし、このことでは仕事を完成しようとする欲望の方がスーザンの苦悩よりつよく彼女を捉えた。
 彼女の率直な追究に、曖昧な身のかわしかたをつづけるブレークにたいして彼女は今やはっきりと、仕事こそが自分を守るもの、自分の自由、自分のひろがりとして自覚されて来たのであった。
 ブレークとの生活は彼女自身を、あらゆる面でこれまでより明瞭に自覚させることとなった。ブレークをもはや愛していないと云えば彼女の心の真実は云いあらわされない。愛してはいる。だが、彼の肉体はスーザンにとって考えたくないものとなったのである。
 ソーニャやブレークの制作慾は、恋で燃さなければ消えるものであった。スーザンの創作の慾望は日常生活のすべての細々した経験が、その生命の根に流れ入ってそこからやみがたい再現の欲望となって湧いてくる。
 スーザンが「アメリカ行進」という題でそれらの彫刻をひとまとめとして開いた展覧会は、多くの未完成な部分をもちながらもきわめて独自な命
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