ンのその心持の核心をついに掴めなかったということは何という悲劇であったろう。自分が彼女にとってなくてはならないものであって、同時に彼女は彼というものだけで満足しきれないものをも持って生きているのだということを、マークはついに理解出来ず、遠いところを見つめている女を愛しつつ生への執着力をうしなってしまった。
 読んで来て私はこの小説がアメリカの婦人作家によって書かれたということを二重の意味で考えた。なぜならアメリカは、世界のなかでは女の尊重されている国ということになっている。個性の自由ということが云われていると思われている。それでも、女の生活の現実の道にはこういう痛切な苦悩が横たわっているということは、私たちに何を考えさせるだろうか。
 日本の社会のしきたりは、若い女性の生活を見ることに、男の習慣がまだまだ多くの昔ながらのものを持っている。教育一般にしろそうで、小説を例にとればモウパッサンの「女の一生」に描かれているジャンヌの生涯が決して珍しい例外ではない。しかも、その一方で若い世代は、形のちがう内容で、「この誇らかな心」のスーザンの苦悩を理解するようにもなって来ている。実感としてわかる
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