れて歩く」ものとして捕えているところも、私たちにさまざまのことを考えさせる。
スーザンの心の波は慎重に誠意をもってたどられており、作者は、スーザンの雄々しく美しい生活態度を描いてそこから人類の命をつらぬく積極的な生活力を暗示している。けれども、今日スーザンが経つつある沢山の苦しみや悲しみは、ほかならぬその経験を彼女がひるまず自分の生活でうちつらぬいて生きてゆくそのことで、やがては歴史の次の世代の新しいものの考えかたにまで押出されてゆく社会的な性質をもっているものであることまでは、暗示されていないのが、この共感ふかい作品の遺憾なところだと思う。
私たちには良人も家庭も子供もいる。それがなくては生きにくい。けれども、自分というものもそこに同時に生かされているという実感がなければならないという希望は、それだけ云えばほとんどあまりわかりきったことのようでさえある。今日日本のどんな男のひとに向って彼の心の問題としてきいてみても、妻だけで子だけで生きてゆけるという男はおそらく一人もないだろう。それは男としてあたり前のことと考えられている。男には仕事とともに妻がなくてはこまる。夫がなくてはこまる
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