の見るソーニャとは異なったソーニャの彫像の最後の仕上げをしている時であった。彼女の手にあるのはソーニャの体である。どうしてそれの仕上げをつづけていられよう。
しかし、このことでは仕事を完成しようとする欲望の方がスーザンの苦悩よりつよく彼女を捉えた。
彼女の率直な追究に、曖昧な身のかわしかたをつづけるブレークにたいして彼女は今やはっきりと、仕事こそが自分を守るもの、自分の自由、自分のひろがりとして自覚されて来たのであった。
ブレークとの生活は彼女自身を、あらゆる面でこれまでより明瞭に自覚させることとなった。ブレークをもはや愛していないと云えば彼女の心の真実は云いあらわされない。愛してはいる。だが、彼の肉体はスーザンにとって考えたくないものとなったのである。
ソーニャやブレークの制作慾は、恋で燃さなければ消えるものであった。スーザンの創作の慾望は日常生活のすべての細々した経験が、その生命の根に流れ入ってそこからやみがたい再現の欲望となって湧いてくる。
スーザンが「アメリカ行進」という題でそれらの彫刻をひとまとめとして開いた展覧会は、多くの未完成な部分をもちながらもきわめて独自な命をもつものとして評価された。美術界の気むずかし屋、美術家連が癪にさわりながらその一言一言を気にかけずにいられない批評家のジョーゼフ・ハートさえ、彼女の作品の将来性と優れた資質とをみとめた。
今やソーニャを失って仕事への気力も欠いているブレークは、スーザンのその成功にたいして、よろこびを共にするよりは、嫉妬をおさえることが出来ない。スーザン自身は、しかし、芸術というものの永い行く手を感じている本能から目前の成功にたいしては沈着で、ジョーゼフ・ハートが彼女の作品の二つをメトロポリタン美術館に入れたいと申出たのも、作品の本質が一つ一つきりはなせないものだということと、まだあと八つこしらえなければ完成していないことで、待って貰おうとおだやかに希望する。スーザンは、その展覧会を契機として、いろいろな人のいろいろな評言から、自分の芸術がまだ自分のつたえたいと思うものをそれなり十分観るものにつたえるだけ完成していないことをも学んだのであった。彫刻をしてゆく過程に自分が深い深いよろこびを感じているというだけでは、芸術家として自分がまだ稚いものであったことを学んだのであった。
これらの内面的なスーザンの成長のあいだに、ブレークとの心持も次第に展開して、彼女は一つの結論とでもいうものに到着した。それは、人間と人間との関係は、その理解にそれぞれの限界があるということであった。マークもブレークも、マークなりに、ブレークなりにスーザンという一人の女性を見ようとした。彼女はそれぞれに求められたものを惜しみなく与えたのだけれど、この肉体と精神との天賦ゆたかな女性はマークが彼女に求めただけで全部でなかったし、さりとて、ブレークが彼女のうちに目醒めさせたものがスーザンの全部でもなかった。彼女という一つのゆたかな輪の上にマークという輪、ブレークという輪が交錯し合ったけれども、二つの環が完全に重なり合ってしまうということはなかった。男は、自分一人で彼女のすべてを充しきり独占してしまえないことが判ると、堪えがたく焦燥して彼女から去って行こうとする。
ブレークは、スーザンと暮した年月が幸福であったこと、そして多くのものを与えられたことを知っている。だが、窮極には自分というものをありのままに出して生きるつよい一個の女性としてのスーザンは、彼にとってどう扱っていいのか分らないものとなって来た。その意味からも二人の結び合いは、もうすんでしまった。もしスーザンが、もっと違った人間だったらどうだったろうか。そしたら、ブレークは彼女を恋愛することもしなかっただろう。
スーザンは、ブレークの云うように、今は過去のものとなった自分たちの生活の経験をただ去りゆく影として見ることは出来ないのであった。彼女の命にとって、一度それにふれて来たからには徒《いたずら》に消え去ってゆくものは一つもないと思われた。マークは死に、ブレークは去ってゆくけれども、彼等との生活でスーザンの得たもの、彼等が彼女の胸に投げた影は、どれも意味ふかく経験の一つとしてつみ重ねられてゆく。どんな小さい経験もそれを精魂こめて経験したものにとっては、ただ消えてゆくことではないのである。スーザンは、そこに自分の命を貫いて脈々と世代を重ねてゆく人類の命の本質を感じるのであった。
「この誇らかな心」のスーザンをこのような女性として描きながら、パール・バックはこの一篇の小説のなかに、自身の芸術にたいしての見解の一部も述べているのである。
私たちの心には、自分の生活というものをはっきり掴んで生きてゆきたいという、やみがたい希望があると思う。そ
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