の点ではスーザンのそういう生活への感情は現代の多くの若い世代の気持と全く相通じるものをもっていると云えると思う。また、私はいつも私であっていいのだ、という確信をもって生きたい、そのようにして生きる条件を見出したいと思う願いも、今日私たちのまわりに高鳴っているおびただしい若い女性の心奥に絶えず動いている念願ではないだろうか。
 私は私であっていいのだという確信を貫いて生きるためには、現実の中で何と苦しい相剋や矛盾を耐えてゆかなければならないだろう。
 パール・バックの優れた作品の一つに「母の肖像」というのがある。この母の時代の姿であらわされているアメリカの女の強靭な生活力が、次の世代である娘の時代の姿として「この誇らかな心」となって表現されてきていることは、非常に興味深いことである。パール・バックは、「母の肖像」で豊富な生活力が自然の豊かさそのままの活力と現実性とであふれ動く姿として母の生涯を描いたと同じように、世代の動きによってスーザンによりひろい知的な領域と芸術の天分とをもたらした。そして、やはり、判断と行動との原動力を、常に「どうしてもしなければならないという感じ、その感じに押出されて歩く」ものとして捕えているところも、私たちにさまざまのことを考えさせる。
 スーザンの心の波は慎重に誠意をもってたどられており、作者は、スーザンの雄々しく美しい生活態度を描いてそこから人類の命をつらぬく積極的な生活力を暗示している。けれども、今日スーザンが経つつある沢山の苦しみや悲しみは、ほかならぬその経験を彼女がひるまず自分の生活でうちつらぬいて生きてゆくそのことで、やがては歴史の次の世代の新しいものの考えかたにまで押出されてゆく社会的な性質をもっているものであることまでは、暗示されていないのが、この共感ふかい作品の遺憾なところだと思う。
 私たちには良人も家庭も子供もいる。それがなくては生きにくい。けれども、自分というものもそこに同時に生かされているという実感がなければならないという希望は、それだけ云えばほとんどあまりわかりきったことのようでさえある。今日日本のどんな男のひとに向って彼の心の問題としてきいてみても、妻だけで子だけで生きてゆけるという男はおそらく一人もないだろう。それは男としてあたり前のことと考えられている。男には仕事とともに妻がなくてはこまる。夫がなくてはこまるという一つの部分に女の全面的な生活が集注され、妻としてあますところなく吸収されていなければならないというのは、女としてやはり何か苦しいところがある。
 とり出してこのようにいえば分りやすいこのようなことが、現実の日常ではわからないことの姿で行われてゆくところに、歴史が示す段階の制約がある。
 スーザンは、生活のあらゆる経験がただ無駄に消え去るものではないという感覚の中で、人類の前進への漠然とした信頼を示している。けれども、彼女は、人間が人間を理解してゆく輪がそんなに狭く小さくめいめいに主観的でしかないという悲しみが、何処から生じるのかというところまでその悲しみの原因を追究してはいない。そういう輪のせまく苦しい主観的な限界は、まだ私たちの社会生活がそのなかに生きる個人個人に本当の社会的共感、理解を可能にさせるほど前進し高められていず、一人一人の生活感情の主観のなかに大きくひろい社会のかげが映され生きられていないからであるという点までにふれて行ってはいないのである。
 そう考えて来ると、スーザンが「私はいつも私であっていい」と思う、その私というもののなり立ちについて、作者がそこに或る一つの強い女の性格としてだけ扱っていることも、また、私たちを考えさせるところだと思う。「私」というものが抽象の言葉でなく日夜の現実に生きている実在であるからには、虚空に生存することは出来ない。スーザンにしろ、マークと結婚し、ブレークとの結合に入り、そして、これらの男たちと同じ時代、同じ社会の歴史を閲《けみ》しつつあるとすれば彼女としても性格が抽象に発動するのではなくて、彼女の生活の属している社会層の特徴や限界や歴史性をも私というもののうちにこめてもっているはずである。
 私はいつも私であっていいのだ、という女によって意識された主張が、やがてそんな主張の必要がないほど女も社会関係の中での制約から解かれるまで、これからも永い年月叫びくりかえされて行かなければならないというのは、何と切なくまた意味ふかいことだろう。「この誇らかな心」を読むと、アメリカの社会が、女にここまでつよく生きさせる可能を与えている一方に、なおこのような小説をパール・バックにさえかかせるような女としての苦悩の要因をふくんだ習俗におさえられている社会であること、女に生れたことをくやむ言葉が女への讚歎として男の唇から洩されるような
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