『この果てに君ある如く』の選後に
――ここに語られている意味――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)にせ[#「にせ」に傍点]ボートをつかまされていたのかもしれない、
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これらの手記の選をして何よりもつよく、そして深く感じたことは、日本の社会は、女を、ひとり立ちで生きてゆかなければならない人として、子供のときから育てて来ていなかった、といういたましい事実である。歴史のはげしい波はこれらの女のひとたちから、生活のボートを漕ぎ手といっしょに奪ってしまった。溺れて死ぬまいとする婦人たちは、子供たちをかばいながら、そのためにあがきは一層不自由になり、疲れを早めながら、みんな自己流に水をかいて、やっと水面から顔をあげている。
手記のほとんどすべてが、そういう印象を与える。したがって、目前にもがいている、そのせつなさ、その叫びが精一杯であって、どうして生活のボートはひっくりかえされたのか、漕ぎての責任よりもあるいはボートそのものが、にせ[#「にせ」に傍点]ボートをつかまされていたのかもしれない、などという考
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