的にあつめたインフォーメエションの上に立ち、而も作家としての立場からそれらの情報、説明を現実に照らし合わせて正当に判断するだけの力はない作者の無知が、言葉の綾では収拾つかぬ程度にまで作品の生地に露出している。それだけであるならば、従来もこの作者が現実に対して十分の理解をもっていなかったことの連続として、読者は新しく遺憾の意を表するに止るであろう。然し、「厨房日記」には、作者の現実に対する無知に加えられた何かがあることを感じさせられる。同じ程度の現実に対する無知がその実質であったとしても、これまでの作家横光は、少くともその作家的姿態に於ては、何か高邁なるものを求めようとしている努力の姿において自身を示して来た。内容はどういうものにしろ、高邁な精神という流行言葉が彼の周囲から生じていた。この人生に対して誠実げな足の運びで、登場していたのであった。その点で、一部の読者が彼の作品を判読したのであるし、マーケット・プライスが保たれたのであった。
「厨房日記」は嘗て高邁を称えた作家にふさわしい何物かを芸術としてのこしているのであろうか。「虚心坦懐とは日本でこそ最も高貴な精神とされているが」「今のと
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