ツァラアの日本についての質問の実体は至って複雑であり得るのである。
そもそも、作家としての、横光氏は、その文学的出発の当初から、現実の或る面に対しては敏感であったが、その敏感さの稟質は、一箇の芸術家として現実を全面から丸彫にしてやろうという情熱において現れず、常に、現実の一面にぶつかってそこから撥《は》ね返る曲線を自意識の裡で強調する傾向で現われた。横光氏は作家として先ず、志賀直哉のリアリズムに反撥して新感覚派と呼ばれた一つの曲線をみずから描いた。ところが、その曲りの果てでプロレタリア文学にぶつかり、そこから撥ねかえったものとして渡欧まで主知的と云われた主観的作風にいた。このことは、人間及び作家としての横光氏の生き方を観た場合、見落すことの出来ない、一つの特徴である。現実につき入り、それを窮めようとする作家的情熱の型をもし仮に鑿孔性と云い得るとすれば、横光氏の作家的情熱の型は実に硬緊性である。対象のないところさえ対象を描いて、自意識を主観の中で、緊張させる人である。この横光氏が、日本というものについての複雑|極《きわま》る質問に、彼の標準による作家らしさ、手際よさで答えなければならない端目《はめ》におかれたのである。焦慮察すべきものがある。作家横光は、現実的に日本を語る力は、日本にいたときでさえ持たぬ作家であったのであるから、ともかく何かヨーロッパ的でないものを抽き出して、これが日本であると云うために、ひどい無理をしている。「一口で日本を巧妙に説明しなければならぬ危い橋を渡る」ために、開口一番「日本には地震が何より国家の外敵だ」と云い、それが「他のどの国にもない自然を何より重要視する秩序を心理の間に成長させた」それ故「ヨーロッパの左翼の知性」は日本に入って「日本独特であるところの秩序という自然に対する闘争の形となって現れ」従って「絶対に負けるのは左翼である。」「日本文化の一切の根底は無の単純化から咲き出したもので、地球上の凡ての文化が完成されればこのようになるものだという模型を作っているような社会形態が日本だと思う。」「つまり知性の到達出来る一種の限界まで行っている義理人情の完璧さのためにも早や知性は日本には他国のようには必要がないのだと思う」という迄に常軌を逸したのであった。
日本の外へ出て見ると、内にいた間には見えなかった日本が見えるのは当然である。漱石など
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