すり泣きと、それをこらえて笑っている若い女の人々の肩のふるえを感じる。三回の応募原稿をよんだ中でわたしはこの一篇から忘れることのできないひびきを伝えられた。
 岡村順子さんの「尼になる日」、そこに幸福はないことをはっきりと見とおしながら夫を失った二十五歳の女性がそのことによって生活も失って、敗北と知りながら恐怖をもちながら、尼の生活に入ってゆこうとしている心持が飾りなく語られている。こんなにはっきりと自分の心も周囲の事情も見えていながら、今日の日本では二十五歳の女性が人生の幻滅として尼になってゆくしか生きる道がないのだろうか。身のまわりのなんでもが見える若い人。そこがよく見えるために、却って見えない所にある別の道を見出そうとしなくなっている人。そういう女性の瞳の澄み工合を読者は何と思われるだろう。
 柴田杜代子さんの「未亡人のその名を呪う」。日本の社会から「未亡人」という言葉はなくされなければならない。一人の女性が、若い時から社会的活動の中に独立人として生活し、結婚しても、子供を持っても社会の独立人として基本的な生活上の権利は確保されてゆかなければ人間らしい生活はありえないことを示している。
 山本迪子さんの「或る女の手記」、働いて一家の支柱となっている女性でさえ、「家の嫁」としてのしきたりと、生活の実情から浮きはなれた現在の制度――たとえば税のとられ方などとのあいだに板ばさみとなって奮闘しながら、女として教師としての人生へのいとおしみをもって生きている姿がまざまざとしている。
 山田君子さんの「わたくしは生きる」、「だがわたくしはまだ貞操は売らないぞ」という最後のさけびは、人々の心につきささるようだ。「まだ[#「まだ」に傍点]」という一言になんという人生の内容がつめられているだろう。

          四

一、未亡人という殊さらのよび名でよばれることについての抗議は一般的であり同感いたします。参議院の会議では母子世帯という風によぶ案もあるそうですが。この手記を集めた本にはどういう題がふさわしいでしょうか。婦人雑誌くさいしめっぽさを高めた題を発見して頂きたいと願います。
一、賞金一、二三等とわけて与えられるということについて心ある方には皆御意見があると思います。文学作品でないこの種のものに――筆者たちの苦痛とたたかいの生活感情に、一等二等はあるまいと思います。
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