た」の三つの文章にあふれている苦痛と、理性、勇気などは、その人々にそうと自覚されている程度は浅いにしろ、何と、この世界の女性の動きに通じたものだろう。
苦しみの窓々よ、ひらけ。そして、その苦しみを解決しようとして働いている世界の善意と努力とが、わたしたちみんなの日常のものとなるように。
二
生活の日々が、夫に死なれた妻の悲しみや愛慕の感情もいつとはなしにおし流して四年、七年と経った今日、気がついて眺める自分の心の中では、かつての愛や悲しみも、歩いて来た道のうしろに遠のいて、みちしるべのように立っていることに驚く。十四篇の原稿のなかには、いくつかそのような心の推移が語られていた。「告白」はそのようないきさつでの立場が、自然にその人の人生にくみとられて語られている。前回の分とあわせて三十篇近い記録のなかで、戦争に対する抗議が社会の問題としてのひろがりをもって表現されているのは、「愛と戦いと」の結末であった。「茨の道を踏み切って」生きる方法をくみたてた人の闘いの姿はおそろしいばかりである。上級軍人の妻であったということからうけた特別な苦痛を、筆者は、はげしい実行力で生きぬいた。野蛮だった日本の軍隊組織、がむしゃらだった戦争。満州で土地の人民の生活をこわしたその力のはねかえりで、自身の家庭さえうちくだいてしまった軍国主義精神。「四千の兵隊を指揮した連隊長」という立場は、四千人の人々の生死とその家族の運命に絶対的な破壊への命令を与えた立場でもあった。そのような立場の人の妻であったという一人の女性のめぐりあわせ。私達に多くのものを考えさせる。
結局、こういう原稿の募集のなかでは、最も惨めな条件の畳まりで、社会の底に沈んでゆきつつある母や子の発言はきくことができない。より深い痛ましい今日の問題は、書かれないところで生きて解決をもとめている。そのことを痛切に感じる。
三
今回は、二十五篇の中から五篇をえらび出すことになった。わたしは「未だ亡びざる人々」、「尼になる日」、「未亡人のその名を呪う」、「或る女の手記」、「わたくしは生きる」をえらんだ。
「未だ亡びざる人々」を最後に附記されている『婦人公論』編集部宛の長瀬澄江さんのことばまでとおしてよんだとき、その手紙と本文の文章とのあいだに、切なさとはこういうものと思わせずにいないす
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