「母の膝の上に」(紹介並短評)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)所謂《いわゆる》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一週二十五|志《シリング》の月給で、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九二三年十二月〕
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 結婚――妻としての生活を有する女性、又は母として家庭生活の必然を持つ女性と職業との関係は、理想に於て如何あるべきか。
 現状はどうであるか、と云う問題は、私共女性にとって、更に直接な考慮を要求しています。
 女性が自己の自覚したと同時に起った困難な心魂の訓練を要する問題です。
 箇人とし自己の生活を拡張させて行きたい慾求。それは、十九世紀後に於るように、徒な男性に対する反抗によるものではありません。人間とし、男が天性に従って仕事を選び、その仕事の裡に、ただ、食い、眠り、死んで行く箇体の生物的生存以上の生命を見出して行くと全く同じに、女性の中にも、内心のやみがたい性格的渇望に押されて、仕事を、持たずにいられない多数の人が出来て来たのです。東洋にばかり根を張ったとされる牢のような家族制度、又は、男尊女卑の悪風は、時と云う偉大な裁きてが、順次に枯す根なら枯してくれます。女性の職業的困難がそれ等に関っているばかりであるなら、忍耐さえ知っていれば、自然に解決されると云っても誇張ではないでしょう。然し、私が思うに、この問題の裡には、もっと何か根本的な神秘に近いものが加っています。制度、社会的組織を創る人間の心のもう一歩奥にあるものを本能と呼ぶなら、その本能を発動させる源、深遠な自然力とも云うべきものが、見えない底の底でこの問題に働きかけているのではあるまいかと思われます。従って、人生を素直に感じ人の力も自然の力も素直に受け味って行こうとするものにとって、結論は、容易でありません。女性は、彼女自身の所謂《いわゆる》職業なるものを持ち得るや否やと云う、最も主要な疑問に対してすらも。
 近代社会相の上に非常に目立つこの問題が、その影響を、教育者、社会政策家の間のみに止めて置かないのは自明です。
 或る種の文学は、次第にこの分野にも視線を向けて来ました。性質として、多くの場合、この問題に対する作者自身の見地を以て作品は終結されるので、何かの形で、賛、否、の断案が下されて
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