いることになります。
作家が女性であった場合と、男性であった場合とで、又作品を貫く感激も違って来るでしょうが、それがとにかく刻下の実際問題にふれていることによって現れる切実さだけは、共通に認め得る点でしょう。
先頃、エイ・エス・エム・ハッチンスンと云う作家が(男です。)“This Freedom”と云う長篇小説を発表しました。直訳すれば「この自由」と云いますか。
この作家の名は、その一つ前に書いた「若し冬が来るなら」と云う題の作品で俄に知られるようになりました。日本でも多くの部数を売ったそうですが一九二二年に発行された「この自由」は、上述の女性と職業の問題を骨子としたものです。
純文学的の立場からではなくその小説を一読した女性の一人として、大体の筋の紹介と、簡単な感想を述べたいと思います。
ロザリーは、英国のイボッツフィールドの教区長の末娘に生れました。
父親は、ケムブリッジ大学を卒業し、ひとから未来を属望され、自分も大いに活動する気でいたところが、彼の盲滅法な性質から、深い考えもなく或る私塾を開いている牧師の娘と恋に落ち、結婚したまま有耶無耶《うやむや》に六年間舅の助手で過してしまいました。舅の死で目を覚し、万事新にやりなおして世間に出ようと努力したが、同期の友人達には、追いすがる余地もない程時代にとりのこされて仕舞いました。
不平は、彼を感情的ななかなか威張る父親にしました。さびれた、融和しない教区中に友人もなく、家族に満足も見出せない孤独な彼は疑もなく一種の悲劇的人物です。
けれども、見方によっては、ロザリーの母親の生活の方が、遙に憐れな、自覚されない点で一層悲劇的なものと云えました。彼女は、娘の時は父の為、成長してからは不平満々な良人の為、母となっては、数多い子供達の為に、自分のあらゆる希望要求を犠牲にしつくし、いつもおどおど労苦の絶えない女性でした。ロザリーが物心づいて第一に感じたのは、男の人と云うものは何と云う偉い素晴らしいものなのだろう! と云う驚歎でした。びっくりするような思いがけない事、珍しい不思議なこと、それは皆、父親か二人の兄達――男――と云う者によってなされます。
家中の女、母親も、アンナ・フロラ・ヒルダと云う三人の姉達も、女中も、皆、その驚くべき男の人達の為ばかりに何時も働き、用事をし、心配をしている。同じ同胞でも、二人の
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