「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)
宮本百合子訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)玉章《たまづさ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)けれ共|流石《さすが》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]

*:注釈記号
 (底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付く)
(例)中納言*
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     葵の前

(高倉)
 其の頃何より優美でやさしいことの例に云い出されて居たのは中宮の御所に仕えて居る局の女房達がめしつかわれて居た上童[#「上童」に二重傍線]の中に葵の前と云って陛下の御側近う仕る事がある上童が居た。およびになるほどの御用がなくっても主上は常に御召になって居るので主の女房も召しつかう事が出来ずかえって主の女房が葵の前を御主人のようにもてなしていらっしゃった。昔のひなうたに「女を生んでも悲しんではならない。女は運よくさえあれば妃ともなれば又妃は后ともなると云う事がある。」かどうかわからないけれども此の御方はきっと末には女御后とも云われる様にも御なりになるだろうと内々、人のうわさをする時などには葵女御等と云って居た。主上はいつの間にか此の噂を御ききになってからは一寸も今までの様に御召にならなかった。是んな事のあったのはほんとうに御志のつきたのではなく、只、世の中のそしりを思召ての御心であった。御心のつきて遊ばされた事ではないので御心がさわやかでなく、御供なんかも一寸もめし上らずよくも御寝遊ばされないほどであった。その時摂※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]の松殿が此の事を聞いて「さて、そんなに御考えるつみになるような事があるならば参内して御なぐさめ申さねばならない」と大急ぎで参内して申し上げるには「その様に御心までなやませ給うようになるまで世間をはばかって居らっしゃってはしようがございません。只今すぐその人を御召遊ばしませ。姓や素情を御さぐりになるにはおよびませんですから。やがて基房がよいようにとりはからいましょうから」と申し上げたらば主上は「位を退ってからはそのような事のあった例もたまにはきいて居たけれどもちゃんと位に居ながらそのような物を召された例はまだ一度もきいた事がない。それに私の御代に始めて始めたら後の世の笑草そしり草となるであろう」と仰せてお聞入にならない。関白殿も何ともしようがないので急いで車にのって御退出なってしまった。或る時主上が御手習の御ついでにみどりの薄様の香の香のことに深いのに故い歌ではあるけれ共このような時であったろうと思召されて、
[#天から3字下げ]忍ぶれど色に出にけり我恋は 物や思ふと人の問ふまで
と御書になって御腹心の殿上人が御取次して葵の前に給わった。葵の前はそれを賜った悲しさがやるかたないので一寸、かげんが悪いと云って御暇たまわって家に帰り障子を閉めきって其の御書を胸にあて顔にあて悲しみ悶えて居たがかえってから十四日目と云う日にとうとうはかなくなってしまった。主上は此の事を御ききつたえになって大変御歎に沈んで居らっしゃる。君が一日の恩のために妾が百年の身をあやまつと云ったのも此の様な事を云うのであろう。彼の唐の太宗の鄭仁基が娘を元観殿に入れようとした時に魏徴が貞女既に陸士に約せりと云ったので元観殿に入れようとしたのをやめられたのにも勝った主上の御心ばせだと人々が申して居た。葵の前がはかなくなってからは君は始終葵の前の事許り思って居らっしゃってとうとう御悩遊すと聞えたので中宮の御方の御所より御看病の女房達を沢山およこしになったと云う事である。
[#ここから3字下げ]
  上どう[#「上どう」に二重傍線] 上童、うへわらはと云ふべきのを此頃は字音のさへに称へしなるか或は原書に上童と書きてありしを仮名にどうと書きあやまりしにもあるべし。上童は少女の中宮などに奉仕し又は女房にも召し仕へしなり。
[#ここで字下げ終わり]

     小督

 葵の前の事があって主上が大変御歎きになったので中宮から沢山の御看病の女房をおよこしになった中に、桜町の中納言*重教の卿の御娘の小督の殿と云って禁中一の美人でその上、二人とない琴の上手な女房が居らっしゃった。その頃まだ少将であった冷泉の大納言隆房の卿が節会に参内せられた時、一目見て恋された女房である。始めは恩をこめた歌心をこめた文を送られたけれどもその数はつもるばかりでなびく様子もなくて長い間たったけれ共女と云えば情にもろいものだと云うその心をこの女房も持って居られたのだろうか、とうとうなびいておしまいになったので、少将は大変によろこんで此の上なく可愛らしいものに思って愛して居らっしゃったけれ共、程なく又内裏から召されて参内してしまったので少将は残りおしくて、せめて参内でもして居たらば余所ながら会う事も出来るがそれをそらだのみにふだん何かにかこつけて参内して小督の殿の局の前をあっちこっちと通り又はみすの外に佇みなんかして歩いて居られたけれどもついでの情もかけぬ気か召使の物さえも出て来ないので少将は情なく思って或時一首の和歌を書いてみすの内へ投げ入れた、それは、
[#天から3字下げ]思ひかね心は空にみちのくの ちかのしほがまちかきかひなし
 小督殿は文を見てどうか返事をしたいとは思ったけれ共心を落つけて考えて「私はこのように君に召し置かれて参って居る上はどんなに少将が云っても言葉をかわしたり返事をしたりするものではない」と心にきめて、その文を上童に持たせてみすの外へ出させたので少将はなさけない、うらめしい人とは思って歩く気にもならないで居られたけれ共|流石《さすが》人目も空恐しいので出された文をふところに入れて歩き出されたけれ共どうかんがえてもそれではあんまりなと又立ちかえって
[#天から3字下げ]玉章《たまづさ》を今は手にだにとらじとや さこそ心におもひすつとも
 今となってもう此の世では会う事さえ叶わないならもう一っそなまじ生きて居て見向いてもくれないような情ない人を恋しがって悶て居るより只もうこのまんま死んでしまいたいと許り思って居る。目の前で互に居て会って居る様で心ではあって居ないなさけない恋もあり又、お互にあわないではなれて遠く居ても互にこんなに思の深いのにと云って恨んで嬉しい恋もある。始から会わないでお互に思って居る恋よりも目ではあって居ながら心であわない恋の恨許はどうしようもない情ないものであると思いになった。此の冷泉の少将も入道相国の聟である。
「此の小督が世の中に居る間は世の中がよくないであろうから此の小督をつかまえて何とかしなくてはならない」と相国の云ったと云う事を小督の殿は人の話にきいて「私の身はどうかしようと思えばどうにでもなるけれ共何より君の御事が心配だからどうかして」と思いわずらったすえ「どうしても逃れるよりしかたがない」と思いきめて、或る日の暮に出入する童等にまぎれて内裏を忍び出て行方知らずに失せてしまわれた。君は失せた小督の事に思い沈ませられて供御なんかも召さずゆっくりと御寝にもならないと云う事を入道相国がきいて「君は小督の事に思い沈んでいらっしゃるのだろう。それなら」と御なぐさめ申す女房達を一人も参らせないで参内する臣下達らもとやこうとそねまれたので誰も入道の勢を恐れて参内する人もないので禁中の有様今までとは打って変ってその静かで淋しい事はいたいたしいほどである。君は小督の事に思い沈ませられて昼は夜の御殿に許り居らっしゃって夜は南殿にお出ましになって月の光に御心をすませていらっしゃる。丁度頃は八月の十日余の事なので一寸もくまない空だけれども御涙に曇って月の光はおぼろおぼろである。主上は人や候人や候とおっしゃったけれ共御返事をする者もなかった時にややたってから弾正の大弼《だいひつ》仲国、その夜丁度御前近う宿直して居たので「仲国」と御答え申して御前に参ると「仲国近う参れ、相談したい事がある」と仰あるので仲国御前近う参ると「あんまり突然な事であるけれどももしか小督の行方を知って居ないか」と仰せになったので「どうしてそうぞうさなく知る事が出来るでございましょうか」と申せば「ほんとかまちがいかは知らぬけれども嵯峨の国の折戸をした家に居ると云う物もあるが、主人の名を知らなくとも尋ねて来て呉れまいか」との仰、仲国は「主人の名も知らなくてはどうしてぞうさなく尋ぬる事が出来るでございましょう」主上は「ほんとうに」と龍顔に御涙が流れて居る。仲国は此の仰せを承るかたじけなさにつくづくと考えると「ほんとうにあの方の内裏で琴をお引きになった時常に笛の役に召されて参って居たものをたとえどこへご座いらっしゃるにもせよ此の月の隈ない美くしさに君の御事を思い出されて琴をお引にならぬ事はよもないだろう。嵯峨にある家はそう多くはないからその戸毎をまわって尋ね奉ったならば其の方の琴の音ならばどこに居ても聞き知る事が出来るものを」と思ったので「さようならばたずねて参りましょうか。たといたずね合っても御書を頂戴いたしませんではあてのない事だとおっしゃるかも知れません」と申したので主上は御書を御書き遊ばして給い「料の馬に乗って行け」と仰せになったので仲国は御馬を給わって明月に鞭をあげてあてもなくあこがれて行く。おじかなく此の山里と詠じた嵯峨野の秋の暮の景色にさぞや哀を思ったろう。片折戸にした所を見つけては若し此の処に居らっしゃりはしないかとあるこうあるこうとする馬の口をひかえひかえて耳をすましてきいたけれ共琴ひく音はしなかった。或は此の月の美くしさにさそわれて御堂などへ御参りになっては居ないかと釈迦堂を始めとして御堂御堂をまわってたずねたけれ共小督の殿に似た人さえもなかったので内裏を出る時にはいかにもたのもしそうに申して出たのにたずねる人にはまだ会わず空手でかえったならさぞ御機嫌が悪い事だろう。是の所からどこかへ落ちてしまいたいけれどもどこへ行っても日本国でない身をかくすべき宿もないので「どうもしようがない、法輪はもう近くだから」と法輪の方へ行くと亀山の近くに松林の一つあるところにかすかに琴の音が聞えた。嶺の嵐か、それとも松風か、もしやたずねる人の琴の音か覚束なくは思うけれ共駒を早めて鞭をうつほどもなく片折戸にしたる門に琴を引きすまして居る様子はまがうかたなく小督殿の爪音である。楽は何かときくと男思うて恋うとよむ想夫恋をひいて居られる。楽は沢山あるのに只今此の楽をおひきになるあわれさ、仲国「お可哀そうに此の御方もまだ君の御事を思召して忘れておしまいにならなかったと見える」と嬉しくて腰笛を腰からぬきとり馬から飛んで下りて門をほとほととたたいたので琴をひくのをハタととめてしまわれる。「是は内裏から仲国と申す者が御使に参りました。おあけ下さいませおあけ下さいませ」とたたいてもたたいてもとがめる音もしなかった。けれどもややあってから内から人の来る景合[#「景合」に「(ママ)」の注記]したのでうれしくまって居ると鎖をはずし門をあけ、いたいたしいような美くしい小女房が顔許り出して「是は内裏なんかより御使をたまわる様な所でもございませんからまさしく間違えでございましょう」と云ったので仲国は返事をして門をたてられたり鎖をかけられたりしては悪いからと思ったのだろうか、やがてそう云う小女房を押しあけて内に入って小督の殿のいらっしゃる妻戸の間の縁にいざりよって云ったのには「どうしてこんな御住いにいらっしゃいましたか。君は貴女の御事故に思い沈ませられて御供もめし上らず御寝もゆっくり遊ばされず、只あてのない情ない事だと明暮思って居らっしゃいますが、御書を給わってまいりましたものを」とおそばに居た女房に御取次をたのんで君の御書奉るので開いて御覧になるとまさしく君の御書である。やがて御返事を御書になって結びながら女房の装束を一重ねそえてみ
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