居ると云う物もあるが、主人の名を知らなくとも尋ねて来て呉れまいか」との仰、仲国は「主人の名も知らなくてはどうしてぞうさなく尋ぬる事が出来るでございましょう」主上は「ほんとうに」と龍顔に御涙が流れて居る。仲国は此の仰せを承るかたじけなさにつくづくと考えると「ほんとうにあの方の内裏で琴をお引きになった時常に笛の役に召されて参って居たものをたとえどこへご座いらっしゃるにもせよ此の月の隈ない美くしさに君の御事を思い出されて琴をお引にならぬ事はよもないだろう。嵯峨にある家はそう多くはないからその戸毎をまわって尋ね奉ったならば其の方の琴の音ならばどこに居ても聞き知る事が出来るものを」と思ったので「さようならばたずねて参りましょうか。たといたずね合っても御書を頂戴いたしませんではあてのない事だとおっしゃるかも知れません」と申したので主上は御書を御書き遊ばして給い「料の馬に乗って行け」と仰せになったので仲国は御馬を給わって明月に鞭をあげてあてもなくあこがれて行く。おじかなく此の山里と詠じた嵯峨野の秋の暮の景色にさぞや哀を思ったろう。片折戸にした所を見つけては若し此の処に居らっしゃりはしないかとあるこう
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