ち、その周囲の湿地には、粗い苔が生えて、群れた蠅の子が、目にもとまらない程小さい体で、敏捷に彼方此方とび廻って居る。

 △静かに、かなり念入りな態度で本を読んで居た彼女は、不意に、自分はわきの竹籠に入って居る赤い鉛筆を削らなければならないのだと云う気がした。で、早速、勢よく、その思いつきで、退屈だった自分が助われたと云うような顔をして、それを実行しにかかった。けれども、いざ削るとなると、急にゲッソリと気がぬけて、彼女は、又元のように、鉛筆をしまってしまって本をとりあげた。
 そして、自分が何か分らないこれから起ろうとして居ることを、心の底にバク然と感じて、その為に心が大変落付かないことをさとった。そして、そのこれから先に起ることと云えば、彼が来ると云うことほか、ない。彼が来ること――? 彼女は、顔を赤くして自分の周囲を見廻した。

 △妙な興奮が突然彼女の心を掴んだ。彼女は傍から見ると不機嫌そうに見えた。赤い顔をし、涙をためて、彼女はジイッと暗い暗い向うの方を凝視して居る。激しい、激しい愛情――対象を得ると、忽ち絶望して仕舞う強い強い愛情が、出口を失って彼女の胸の中で燃えて居た。自分
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