「禰宜様宮田」創作メモ
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)陽炎《かげろう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)真に自分と合一|致《な》し得た者を得た
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)残[#「残」に「ママ」の注記]しい尊さが
*:不明字 底本で「不明」としている文字
(例)穴*の彼方に
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桑野村にて
○日はうららかに輝いて居る。けれども、南風が激しく吹くので、耕地のかなたから、大波のように、樹木の頭がうねり渡った。何処かで障子のやぶれがビュー、ビュービューと、高く低くリズムをつけて鳴って居る。祖母が、因果なような音を立てて居ると云ったのが、いかにも適切な程、その音は、弱々しく陰気でありながら、絶え間ない執ねさで鳴って居る。
○地面と云う地面は到るところ、ゆるんでぬかって居る。
黄色な草の間を縫うて、まがりくねった里道には、馬のひづめのあとに轍が、一寸も喰い込んで、滅茶滅茶について居る。歩くのにも足駄でなければ、足の上の方までよごれる。
けれども村の者達は、此の困難な往還に対して、何の不服も感じないのみか、却って、一種のよろこびさえも感じて居る。春の暖さが、地面の底から、しんしんとわき出して、永い冬の間中、いてついて、下駄の歯の折れそうになって居た土を、やわらげて行くからなのである。
子供達は、背中まで、大きな はね を上げながら、いつともなし足袋をぬいだ足を、思うさまよごしては、気違いのようにはねくり廻って居る。
○池の水はすっかり増して、冬の間中は、かさかさにむき出て居た処にまで、かなり深く水がたたえられて居る。日光が金粉をまいたように水面に踊って、なだらかな浪が、彼方の岸から此方の岸へと、サヤサヤ、サヤとよせて来るごとに、浅瀬の水草が、しずかにそよいで居る。
その池に落ち込む小川も、又一年中、一番好い勢でながれて居る。はるかな西のかん木のしげみの間から、現われて来る流れは、小さな泡沫を沢山浮べながら、さも愉快そうにゆれゆれて流れ、池へ入る口では、せばめられた水嵩が、周囲の草や石にあたって、心のすがすがするような高い、透明な響を起す。その傍に、小さな小屋を立ててすんで居る鯉屋の裏には、鯉にやるさなぎのほしたのから、短かい陽炎《かげろう》が立
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