ち、その周囲の湿地には、粗い苔が生えて、群れた蠅の子が、目にもとまらない程小さい体で、敏捷に彼方此方とび廻って居る。
△静かに、かなり念入りな態度で本を読んで居た彼女は、不意に、自分はわきの竹籠に入って居る赤い鉛筆を削らなければならないのだと云う気がした。で、早速、勢よく、その思いつきで、退屈だった自分が助われたと云うような顔をして、それを実行しにかかった。けれども、いざ削るとなると、急にゲッソリと気がぬけて、彼女は、又元のように、鉛筆をしまってしまって本をとりあげた。
そして、自分が何か分らないこれから起ろうとして居ることを、心の底にバク然と感じて、その為に心が大変落付かないことをさとった。そして、そのこれから先に起ることと云えば、彼が来ると云うことほか、ない。彼が来ること――? 彼女は、顔を赤くして自分の周囲を見廻した。
△妙な興奮が突然彼女の心を掴んだ。彼女は傍から見ると不機嫌そうに見えた。赤い顔をし、涙をためて、彼女はジイッと暗い暗い向うの方を凝視して居る。激しい、激しい愛情――対象を得ると、忽ち絶望して仕舞う強い強い愛情が、出口を失って彼女の胸の中で燃えて居た。自分の愛情が、斯くも不思議なものであることを知って居れば居るほど、彼女は根本的に陰鬱になって来た。彼女は、一生、此の只独りで感じ、独りで燃える愛情に苦しまなければならないのか?(十九日)
彼女は、はっきりと
自分の裡に自分を殺すものがひそんで居る!
と云うことを感じた。
自分を殺す力は、同時に自分を活かす力である。その力をはたらかせる力の強弱によって自分は生きも死にもする。そして、死と云うものも、あるときは、あまりに強く自分を誘う。
○何時も旅行にさえ出ると、きっと自分を苦しめる陰鬱さ。
今日も私は苦しい悲しい心持がして居る。すっかり自分がむき出しになって、自分の前へ来るような気がする。苦しいけれども、自分にはきっとためになるだろう。自分を凝視して行く力。グングンとさし込んで来る力をジイッと保って居る強み。そう云うものが、女には何だかうすいように思われる。今、私はかなり力のこみあげを自覚して居る。何かになろうとする力が、次第次第に膨らんで来るときの苦しさを、自分は涙と光栄とをもって、堪える。
○眠ろうとしながら、自分は種々のことを考えた。愛し合うと云うことに就いても、死と云
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