はげまし、互の共感を、最も新しい生活感情の一つとしている。わたしたちの生活の中で、中国人民の人民的成果は羽ばたたいているのだし、ヴェトナムや朝鮮の人々の勇気は、その脈動をつたえている。わたしたちの文学は、当然、異国趣味でない国際的関係とその感情、世界史の積極的発現への評価をふくむはずである。地球上にはじめてあらわれてその建設にいそしんでいるソヴェト同盟の社会生活について、従来の市民《ブルジョア》文学でさえも、もし文学の本質が、ギリシア神話のプロメシウスの伝説を愛して、敢て試みる人間精神の積極性に敬意をはらうならば、最も興味ある注目をむけるはずである。だけれども、日本の文学の中には、僅かの見聞記があっただけで、小説として、一個の人間性の変革に作用してゆく関係において描かれた社会主義社会の描写はなかった。(こんにちではソヴェトからの帰還者のうちから、楽団を組織する人々があらわれ、捕虜生活という不自然な条件を通じてさえもなお社会主義社会のプラスを理解し、身につけて来た人々が日本の中にふえたが。)しかし、なお、帝国主義国家のソヴェト同盟の存在に対する誹謗と誇大な妄想めいたデマゴギーとが氾濫している現代では、ソヴェト同盟の社会が、矛盾や不十分さをもつとは云え、大局においてその生産方法において、国際外交において人類の発展的方向をめざしていることが語られることは、人民の善意が国際的になっているこんにちの現実の性格から自然である。
これらのすべての点をひっくるめて、わたしたちは、新しく成長しつつある人間像を再現しようとしている。ひとことに云ってみると、それは、資本主義社会の現実によってこの二世紀ばかりの間にその外部的・内部的生存をきりこまざかれてしまった人間性《ヒュマニティー》を、二十世紀の後半において、新しい社会的人間統一に復活させようと熱望して、そのような意志と理性をもってきょうの歴史の現実の中に精力的にたたかい生きつつある人間像を、描きたいとねがうのである。
戦争の年々、日本の人民生活の荒廃の中で、せめても人間性を守り、それを失うまいとする願いは、切実であった。軍協力の文学ではなくて、人間理性をみとめ、条理を理解し、人間心情に立つ文学の可能を防衛しようとする意嚮も、真実だった。しかし、第二次大戦を通じて、世界の人間性《ヒュマニティー》は、過去の歴史のいつのときよりもヒュマ
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