二十円という、通俗人の望みの影さえさしていて、面白い。
特に、この三十歳を越して四十との間にさしかかっている作家たち、十円会あたりの人々が主として今日「大人の文学」を唱えている事実は一層私たちに人生的観察の心をおこさせるのである。これらの人々の日常が、ブルジョア的環境にありながら、実質は小市民的であって、謂われている大人(官吏、軍人、実業家)の大頭の世界の中に織込まれてはいない。彼等の支配的、高等的政策にはあずかっていない。そのことが、「大人の文学」を提唱させる心理の奥に作用している。文化、文学を発展させる自主的な精神力の喪失、経済事情の今日の小市民層らしい逼迫などが、微妙にからみあっているのである。小説を書く人より、小説に書かれる人の心の動きとも見えるではないか。
漱石やその後のある時期まで、作家の社会性の弱さは、むしろ彼等の芸術家的自尊心、文化、文学の独善的な価値評価に現れていた。例えば漱石にしろ、文学のことがききたければ、そちらから出向いてくれと時の宰相に対しても腹で思っている作家的気魄があった。そして、彼の芸術も、彼のその気魄も、根底には当時の日本の社会の歴史がインテリゲン
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