ツィアの心に反映している積極性と同時に、芸術についての観念的な理解を抱かせていたことは知り得なかった。
今日にあっては「大人」という一つのごく日常生活の中でわかっているはずの観念でさえ、「大人の文学」を提唱する作家たちのような内容づけと、大衆自身が自分たちの生活と年齢との中で実際感じている大人の実体との間に、前述のように質の全く違う理解を生じるに至っている。
少年、青年時代は、人の一生を見てもある点模倣がつよい。一国の文化、文学についてもそれはいい得るであろう。日本の文学が、独自的な芸術をもつべきであり、もち得る時期に入っているということの主張も、「大人の文学」の提唱のうちにこめられていると思う。しかしながら、そのことは、直ちに官吏、軍人、実業家の中心問題を文学の中心問題とすることでないのは明瞭である。今日いわれている「大人の文学」の提唱に、こういうごく素朴な、政治と文学との混同が顕著であることは注目に価する。老藤村が、文化勲章の制定に感激しつつ、いまだ文学が一般の人、特に政治家に分っていないこと、そのためにこのよろこびが些かほがらかならざることに遺憾の心をのべているのは味わうべ
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