睨《へいげい》して集合する築地の有名な待合×××を、この新聞の読者の何人が日常の接触で知っているであろうか、という質問によって。――
 横光利一氏などが中心に十円会という会があるそうである。明治の初期、戯作者気質ののこっていた通人気どりの文士たちならば、ざっくばらんに「食おうかい」とでも呼んだであろうし、明治末葉から大正にかけての作家連であったらば、十円をつかって遊びながらも文化人、芸術家としてこの人生の発展のために彼等の負うている責任の重く遠いことの自覚を加えて、重遠会とでも名をつけたかもしれない。現代の少壮と目されている作家等が、むきだしに十円会と金だかだけの呼び名で一定のレベルの経済生活と文壇生活とをしているグループの会を呼んでいるのは実に面白いと思う。
 十円の金は十円の金で、どうでも使える。死金にもなり、悪銭にもなり、義捐《ぎえん》金にもなれば、自殺の旅費にもなるのである。どっちみち一夕十円標準でやろうと名をつけているのが、文壇人の経済事情、生存感情の推移とその現代性を語っている。菊池寛、久米正雄氏等の間では二十円会とか三十円会とかいうのがあるそうである。十円がもすこし育って二十円という、通俗人の望みの影さえさしていて、面白い。
 特に、この三十歳を越して四十との間にさしかかっている作家たち、十円会あたりの人々が主として今日「大人の文学」を唱えている事実は一層私たちに人生的観察の心をおこさせるのである。これらの人々の日常が、ブルジョア的環境にありながら、実質は小市民的であって、謂われている大人(官吏、軍人、実業家)の大頭の世界の中に織込まれてはいない。彼等の支配的、高等的政策にはあずかっていない。そのことが、「大人の文学」を提唱させる心理の奥に作用している。文化、文学を発展させる自主的な精神力の喪失、経済事情の今日の小市民層らしい逼迫などが、微妙にからみあっているのである。小説を書く人より、小説に書かれる人の心の動きとも見えるではないか。
 漱石やその後のある時期まで、作家の社会性の弱さは、むしろ彼等の芸術家的自尊心、文化、文学の独善的な価値評価に現れていた。例えば漱石にしろ、文学のことがききたければ、そちらから出向いてくれと時の宰相に対しても腹で思っている作家的気魄があった。そして、彼の芸術も、彼のその気魄も、根底には当時の日本の社会の歴史がインテリゲン
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