い頬であり、声高に議論するその声は、どうしたってテノールやバスではあり得ない。女のアルトであり、若々しいソプラノであるだろう。握る拳さえ、女は女のこぶしを握るのである。本質の女らしくなさ、がどこにあるだろう。そうして、活溌に論じ、行動する女の女らしさをいじらしく、雄々しく見ることの出来ない人々が、また、逆に「女らしさ」を武器として使う。相手にいいくるめられそうになり口惜しさに涙でもこぼせば、それ、女らしい。何だヒステリーをおこして、という。ジャンヌ・ダルクがフランスのために乙女の長い髪を切り、甲冑をつけ馬にのって戦ったあと、イギリス軍に捕えられて火あぶりとなった。そのときの罪は、神の定めた女という性を、男のまねをしてけがしたという、宗教裁判であった。
 今日、あらゆる面で、「女が女らしくない」といわれる動きかたをしているとすれば、それの本来の目的は何であろうか。一つ一つ、どれとして、社会人として婦人として、人間性と女性なる性の完成のためでないものはない。組合が求めている職場の婦人の要求ほど女らしい公然たる要求がどこにあるだろうか。すべての主婦、学生のために勤労婦人こそトップに立ってそれ
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